米軍撤収期限の5日前に起きたカブール空港近くの自爆テロ事件で、米軍によるアフガニスタン侵攻の年に生まれた若者が爆死した。カリ―ム・ニコウイ海兵隊伍長(カリフォルニア州ノーコ出身)は、タリバンと敵対する過激派組織ISIS-K(イスラム国ホラーサン)の自爆攻撃で死亡した米兵13人の一人だ。
退避する米国人を護衛するために2週間前にカブールに到着したばかりだった。遺体は26日、デラウェア州のドウバー空軍基地に搬送された。皮肉にも、デラウェア州はジョー・バイデン大統領の地元だ。父親のスティーブ氏は、「大統領の退避作戦には失望した。現場の指揮官は危険が迫っていることを事前に察知し、作戦を練るべきだった」と、地元メディアに憤りをぶつけた。
アフガン撤退を批判していたドナルド・トランプ前大統領は、待ってましたとばかりにバイデン攻撃を続けている。
「これは歴史的規模のカタストロフィー(破滅、悲劇)だ。私が大統領ならばこんな大惨事は起きなかった。我々は威厳を持ってアフガンを去ることができたのだ」
米軍事シンクタンクの研究員はこう指摘する。
「バイデン政権の外交・軍事チームには戦争の現場を知るプロがいない。司令塔のジェイク・サリバン安全保障担当補佐官は頭脳明晰だが空理空論が多いし、アントニー・ブリンケン国務長官は外交畑一筋、ロイド・オースチン国防長官は軍出身だが、黒人ということもあって政策立案では一歩引いたところがある。
バイデン氏は米同時多発テロから20年の節目を迎える9月11日を前にアフガンから撤退することにこだわった。現地ではタリバンとISIS-Kの主導権争いに警戒すべきという声があったのに、耳を貸そうとしなかった結果、大惨事を招いてしまった。
報復のドローン攻撃でISIS-Kの拠点はダメージを受けたが、これで漁夫の利を得たのはタリバンだから、状況は好転したとは言えない。米国民が拍手喝采するものではない」
この指摘の通り、バイデン氏が党内融和を優先してつぎはぎだらけの人事政策をとってきたことが原因の一端にある。メディアでは「民主党の女帝」ナンシー・ペロシ下院議長の影響力を揶揄して「バイデン・ペロシ政権」と呼ぶものも出てきた。要職に黒人や女性を多く登用して「リベラル政権」を演出してきたが、一皮むけば、リベラル、中道、保守派の寄せ集めであり、アフガン危機で化けの皮が剥がれてしまった。
その影響は日米関係にも及びそうだ。バイデン氏は、クリントン、オバマ両政権で政策と選挙に辣腕を振るった党内実力者であるラーム・イスラエル・エマニュエル氏(61)を本人の希望通り、駐日大使に指名した。同氏の起用に関しては、シカゴ市長時代に起きた白人警官による黒人少年射殺事件への対応を問題視するリベラル派が昨年から反対しており、そのため当初持ち上がった運輸長官や駐中国大使への抜擢は見送られた経緯がある。