多くの公共の場所が禁煙となっている今の時代。一方、昭和という時代を語るのにタバコの煙は欠かせない。スポーツ選手といえども喫煙者が多かったあの頃、昭和のスター選手は紫煙をくゆらせながらどんな表情を浮かべ、どんな言葉を交わしていたのか──。元プロ野球選手の門田博光氏が野村克也さんとのタバコにまつわる思い出を振り返る。
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ノムさん(野村克也監督)はヘビースモーカーで、いつもタバコを2箱持ち歩いていました。1日3箱くらいは吸っていたんじゃないかな。いつでもタバコを吸っていて、ミーティング中もタバコを手放さなかった。
〈1969年11月、34歳の若さで南海ホークスの選手兼任監督となった野村は、入団1年目の門田博光をスタメンで起用。その後も起用し続ける一方で、自分の指示に素直に従わない門田、江夏豊、江本孟紀を「南海の三悪人」と称した。
だが、この言葉には3人への高い評価と親しみが込められており、後に野村は「この3人に鍛えられた」と明かしている。「名将・野村克也」への修業時代を過ごしたこの時期、彼の口元には必ずタバコがあった〉
監督兼任のストレスは相当なものだったと思います。監督室には秘密がいっぱいで選手は入れてもらえなかったけど、灰皿は吸殻で山盛りになっていたでしょうね。食堂でノムさんがタバコを吸っているときは、緊張から解放されて安心した顔をしていたのを覚えています。
ノムさんにはよく説教されましたが、そのときも必ずタバコを吸いながらでした。
周囲には「門田はワシが言うことの反対ばかりする」とボヤいていたそうですが、僕のような小さい体では振り回さないと打球が飛ばない。重いバットや長いバットを使うなど、ノムさんに抵抗するために試行錯誤を続けました。こんな頑固者だから“三悪人”のひとりにされちゃったんだけど(苦笑)。
「育てんとアカンのや、このチームは」というのがノムさんの口癖でした。「よそから(有名選手を)引っ張ってくるような、継ぎ接ぎだらけのチームはいらん」と、生え抜きによるチームづくりに熱心に取り組んでいた。選手との駆け引きの部分もあったと思いますが、少ない言葉で選手を奮い立たせるのが上手かったですね。