今はテレビでスターがタバコを吸う姿を見せることなどめっきり減ったが、かつてのスターたちは堂々とタバコを吸っていた。お笑い芸人の乾き亭げそ太郎が、志村けんさん(享年70)とタバコにまつわる思い出を振り返る。
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麻布十番の喫茶店『ぱぽたーじゅ』でお待ちしていると、キャップをかぶり、セカンドバッグを脇に抱えた志村さんが入ってきました。「うわっ、本物の志村けんだ!」と心の中で叫びましたよ。
〈志村けんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で亡くなってから、はや1年半。1994年から7年間にわたって、志村の運転手兼付き人を務めた乾き亭げそ太郎は、志村と初めて会ったときのことをこう振り返る〉
あまりにも緊張していたので、ほとんど記憶がないのですが、30分くらい「コントの勉強をしたいんです」とお話しした後、志村さんにボソッと「お前、タバコは吸うのか?」と聞かれました。「吸います」と答えると、「じゃあ、これやるよ」と言って、志村さんが自分のタバコに火をつけたばかりの百円ライターを僕にくれた。それが“採用”の意味でした。
「笑いは正解のない世界だから、俺から教えることは何もないぞ」「『師匠』と呼ばれるのは恥ずかしいから、『さん』でいいよ」と言われたことも覚えています。
〈ヘビースモーカーだった志村に、タイミングよくタバコを差し出すのも、付き人の大切な仕事だった〉
最初の頃はタイミングがわからずに苦労しました。コント収録の間、ディレクターとセットを見ながら、志村さんが不意にこちらに右手を出して“裏ピース”をする。それがタバコの合図で、僕がよそ見をしていたら怒られる。
「目の前にいる俺一人の気持ちがわからないで、テレビの向こう側にいる何十万の人たちの気持ちがわかるか?」とよくお説教されました。
志村さんのためにタバコを切らさないよう、常に3カートンは車に積み込んでいました。コントの収録がある日は本数が増え、3~4箱は空けていましたね。スタッフとのネタ会議や収録の合間に吸い、集中しているときはひと口吸っただけで消すこともありました。