8月24日に発生した東京メトロ白金高輪台駅の「硫酸事件」では、事件発生から数時間後に防犯カメラ映像が公開され、被疑者のスピード逮捕につながった。このように、各地に設置された防犯カメラの映像を線で結び足跡を追う手法は「リレー捜査」と呼ばれている。
「警視庁と各地の警察が連携した逮捕劇は見事でした。刑事が靴底を減らし、聞き込みや張り込みを重ねて犯人に迫るのは今も昔も変わらない。ただ、最近の刑事は『空を見上げて捜査する』ことが多くなった。逃走する被疑者を捉えた防犯カメラがないか探しているんです」
そう語るのは、元徳島県警捜査第一課警部の秋山博康氏(61)だ。今年3月に42年間勤めた徳島県警を定年退職。2001年に徳島県で起きた「連続父子殺害事件」では専従捜査班を率い、犯人を追い続けた。手配犯を名指しした「おい、小池!」の手配ポスターはあまりに有名だ。
「このポスターのおかげで全国からたくさんの情報が寄せられた。しかし、偽名を使い岡山市内に潜伏していた被疑者が逮捕目前に急死。11年間に及ぶ捜査が終わってしまった。この無念は生涯忘れられません」
地を這うような捜査を続ける中、情報収集のためにと出演した警察特番がきっかけとなり、その風貌から“リーゼント刑事”と呼ばれ親しまれた。「被害者の仇をとってこい」「刑事は被害者の代理人や」──部下に熱く語りかける姿は、多くの視聴者の共感を呼んだ。
「徳島の父子殺害事件も、今のように防犯カメラやSNSが発達した時代であれば状況は変わっていたかもしれない」
そう話す秋山氏。新米刑事時代の「泥臭い」捜査を振り返る。
「1984年に起きた『グリコ・森永事件』では、徳島県内でも模倣犯が現われた。脅迫状を投函する犯人を捕らえようと、ポストが見える場所に大きな段ボールを置き、カップラーメンを持ち込んで24時間張り込みをする。ある捜査員がカメラの設置を進言したら、『刑事が機械に頼るのか!』と幹部の逆鱗に触れ左遷されてしまった。そんな時代だったんです」