米ドナルド・トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動され、アメリカ連邦議会議事堂を占拠した熱狂的なトランプ支持者たちは、「Qアノン」なる陰謀論を信じているという。Qアノンは、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されていて、トランプ氏はそれと闘っている」と主張している。作家・橘玲氏は話題の新刊『無理ゲー社会』で、「絶望から陰謀が生まれる」メカニズムについて考察している。なぜ人は「陰謀論」にハマるのか、同書より抜粋して紹介する。
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オウム真理教の信者やQアノンの信奉者を見て、わたしたちは「なぜあんな陰謀論にハマるのか」と疑問に思う。だがこれは、そもそも問いの立て方が間違っている。
人類が数百万年のあいだ生きてきたのは「近代化以前」の世界で、頼るものは経験と単純な因果論しかなかった。科学的な世界観が確立したのはせいぜい400年ほどで、人類史の0.01%程度にしかならない。わたしたちの祖先は、日食や月食が地動説で説明できることも、感染症が病原菌やウイルスによって引き起こされることも知らなかった。
世界がまったくの暗闇だとしたら、(なにがどうなっているかわからないまま物事が次々と起きるのだから)ものすごい恐怖だろう。この根源的・実存的な不安から逃れるためには、あらゆる出来事は「説明」され「意味」を与えられなければならない。
こうして神話や宗教が生まれたが、科学的な知識がないのだから、それらは神秘的・呪術的なものになるしかない。ヒトの脳はもともと陰謀論的に思考するよう「設計」されているのだ。
その後、近代の啓蒙主義とともにわたしたちの世界観は大きく変わったが、これは「陰謀論」が「科学」に置き換えられたわけではない。近年の脳科学は、意識という中央管制室が全体を統制しているのではなく、脳内では進化の過程のなかでつくられたいくつかの異なるネットワーク(モジュール)が独立に活動しているとする。
赤い染みのついたセーターを「殺人事件の遺品だ」と説明すると、手に取ろうとするひとはほとんどいない。そこになにか不吉なもの(被害者の霊や怨念)が取りついていると感じるのだ。「目力」というのは、物理法則に反して、目からなんらかの光線が出ていると感じることだ。こうした例はいくらでもあり、わたしたち(無意識)はいまだに呪術的世界を生きている。意識(理性)は地動説でも、無意識は天動説のままなのだ。
そのように考えれば、問うべきは「なぜ陰謀論にハマるのか」ではなく、「陰謀論を信じるひとがなぜこれほど少ないのか」だろう。ひとびとが陰謀論的に思考しているにもかかわらず、近代社会が科学や理性をもとに運営されているのは驚くべきことなのだ。
脳のOS(基本システム)が呪術的なのだから、陰謀論にふりまわされるのはごく一部のひとたちだけではない。「リベラル」は右翼・保守派の陰謀論を嘲笑するが、そんな彼ら/彼女たちにしても理性より直感を信頼し、ワクチンや肉食を「自然に反する」として否定する非科学的な「自然崇拝(スピリチュアリズム)」にハマっている。Qアノンが「新型コロナのワクチンにはマイクロチップが入っていて、5G電波で操られる」などと言い出したことで、いまでは右と左の陰謀論は区別がつかなくなってしまった。