日本一の繁華街・銀座。そこは昭和20年代頃から常に「男の憧れ」であり続けた。銀座のクラブの起源は、大正時代に栄えた「カフェー」に遡る。そこで働く女給と呼ばれる女性店員たちが注目を浴びる。店で人気を博した女性が自ら店主(ママ)となりホステスを置くバーが次々と誕生したのが、今日の銀座の始まりである。
そうした歴史を語るうえで、外すことのできないママがいる。クラブ「エスポワール」の川辺るみ子と、「おそめ」の上羽秀である。先に名を上げたのは、1917年生まれ、6歳年上のるみ子だった。秋田から上京すると1937年に銀座のバー「ボルドー」の女給となる。その後、1946年に自らの店「エスポワール」を開店する。40年以上銀座で働いてきたバー「ザボン」の水口素子ママが語る。
「身長が高くて目鼻立ちのハッキリした美人でした。男勝りな性格で大物客に対しても臆することなく受け答えしていたそうです。リーダー的存在で、私も一度パーティーでご一緒した際、『あの子はどこの子なの?』と言われてドキリとした思い出があります」
しかし、その立場を脅かす存在が現われる。京都と銀座を飛行機で往復し、“空飛ぶマダム”と呼ばれた上羽秀である。
白洲次郎を巡って火花!?
秀は1923年に京都に生まれ、15歳で祇園の芸妓としてデビュー。いかにも京美人といった薄い顔立ちで粉雪のように白い肌の持ち主だったという。その後、1948年に木屋町の自宅を改装し、小さな会員制のバー「おそめ」を開店。作家の川端康成や映画監督の小津安二郎、布団の「京都 西川」の社長らが通う繁盛店となる。
そして1955年、秀は銀座に進出。これまでにない京都風の店構えに加えて、秀のおっとりとした雰囲気には思わず守りたくなる魅力があった。客層がエスポワールと被っていたこともあり、多くの客が流れてしまった。
「常連客がおそめにいると知ったるみ子ママが、押しかけて平手打ちしたという説もあるくらいですから、敵意はかなり強かったのだと思います」(素子ママ)
理由の一つには東北電力会長であった白洲次郎氏を巡る関係も影響していたと言われる。その関係をモデルに小説・映画化もされた。