犯罪コメンテーターとしてテレビ番組や講演で人気を博している、“リーゼント刑事”こと元徳島県警警部の秋山博康氏(61)。数々の事件を解決した名物刑事は、今年3月に定年を迎え、東京に拠点を移した。そんなリーゼント刑事が波瀾万丈の警察人生42年を振り返る。
秋山氏は次々と事件を解決するエース刑事として知られていたが、キャリア半ばの2000年、警視庁捜査第一課特殊犯係に出向。凶悪事件を多く扱う捜査一課が秋山氏の主戦場となっていく。
「刑事7年目に異動した先では、行きつけの銭湯の脱衣所に“〇〇組××”と名前を書いた洗面器がずらりと並んでいました。当時は刺青のヤクザが我が物顔でふるまっていた。
私はそれらを全部捨て、代わりに“〇〇署刑事課秋山”と書いた洗面器を置いた。以来、組員は姿を見せなくなりました。組員の間では“何をするかわからない危ない刑事が異動してきた”と評判だったそうです」(秋山氏)
ヤクザも黙るリーゼント刑事だが、捜査で涙を流したこともある。
「当直で仮眠中の深夜、10階建てビルの下に、女性と赤ちゃん2人の転落遺体発見の通報が入った。母親による無理心中事件です。
署に搬送して遺体を検視中、私は赤ちゃんの頬に涙の跡があるのを見つけました。母親に落とされる時に目を覚まして泣いたのでしょう。検視中、他の刑事たちと声を上げて泣きました」(同前)
あわや殉職という危険な場面も幾度もあった。
「立て籠もり事件で人質脱出後に現場に踏み込むと、犯人の男がガソリンを撒き、火をつけたのです。
男は瞬く間に火だるまと化し倒れました。私と部下2人は、火と煙の勢いに押され逃げ場がない。黒煙で視界はほぼゼロ。さすがにこの時は死を覚悟し、部下に心の中で『ごめんな』と謝りました。彼らも涙目です。その時、台所の小窓に差し込む光に気が付いた。窓の格子を必死に蹴破り、3人で間一髪、脱出することができたのです」(同前)