4年半ぶりとなる新横綱として、大相撲9月場所の土俵に上がった照ノ富士は、「令和初の新横綱」だ。一方「平成の大横綱」といえば、2018年10月に相撲協会を退職した貴乃花光司氏だ。大相撲の歴史には、69連勝を記録した双葉山、一代年寄を襲名した大鵬、北の湖、千代の富士(辞退して九重を襲名)ら、数々の大横綱がいる。貴乃花氏が「理想の横綱」として仰ぎ見た力士はいたのだろうか。話を聞いた。
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歴史に名を刻む大横綱の映像を見ると、双葉山関なら完全な右四つの型があったし、北の湖理事長なら相手が誰でも吹っ飛ばす破壊力があった。ただ、それを真似しようとは考えませんでした。“対戦したらどんな展開になるかな”と研究する対象になっていた。誰かを真似るのではなく、自分の良さを引き出したいと考えてやっていました。
1991年5月場所では、千代の富士関と対戦して金星をあげることができましたが、まさに全身が筋肉に覆われている印象で、ぶつかっても肌が硬かった。本場所では一度しか対戦できませんでしたが、その後も千代の富士関のような硬さの力士と対戦したことはありません。ライバルだった曙関や武蔵丸関から“大きさ”を感じたとすれば、千代の富士関からは“横綱の重さ”を感じました。
よくアドバイスをいただいたのは大鵬親方です。
相撲の話というよりは、いろんな世界の人とのお付き合いの話が多かった。「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた人気横綱でしたから、政財界の重鎮と交友があり、高い見識のある方でした。ただ、巨人と並び称されることには「相撲は個人競技だから、野球のような団体競技よりつらいよな」とボソッと話されていた。大鵬親方も横綱が逃げ場のない孤独な地位だと感じていたのだと思います。
野球選手は3割打てば一流ですが、横綱は勝率8割を切ったら引退を考えないといけない。北の湖理事長は“横綱の勝ち越しは12勝”とおっしゃっていました。しかも、平幕には負けられない。自分が負けた後に座布団が舞ったり、うなだれているところに座布団が当たったりすると余計に心が痛みます。
一方で、自分が負けて喜んでいるお客さんがいると、入門した時に師匠から「負けて喜ばれる存在にならないと力士をやっている意味がないぞ」と教わったことを思い出したりもしました。花道を下がりながらいろんなことを考えるわけです。
※週刊ポスト2021年10月1日号