プロ野球はシーズン残り30試合を切り、ペナントの行方とともに、注目を集めているのが新人王争いである。パ・リーグは宮城大弥(オリックス)、早川隆久(楽天)、伊藤大海(日本ハム)の3人に絞られ、セ・リーグは本命視された阪神・佐藤輝明が後半戦に入って失速して大混戦となっている。この「新人王争い」に名乗りをあげるのは、「1年目」の選手だけではない。
現行制度の下で新人王の資格があるのは、「初めて支配下登録となって5年以内」「前年までの一軍登板イニング数が30以内」「前年まで一軍での打席数60打席以内」といった基準を満たした選手になる。たとえばオリックスの宮城は「2年目」だが、昨年は一軍で16イニングに登板しただけなので、両リーグ通じて10勝到達一番乗りとなるなど大ブレイクした今季は“新人王の資格あり”となる。
セ・リーグでも、阪神の2番ショートに定着して盗塁王争いに絡む中野拓夢、驚異の22試合連続無失点を記録した広島の守護神・栗林良吏、ルーキーとして史上初となるサイクルヒットを達成した牧秀悟といった1年目の注目選手に加え、「プロ2年目ですでに7勝をあげ、チームを優勝争いに押し上げているヤクルト・奥川恭伸も、この後の活躍次第では新人王の可能性が十分ある」(スポーツ紙デスク)とみられている。
ただ、プロ野球の歴史のなかでも「入団3年目以降」の選手が新人王を獲得したケースは数えるほどしかない。入団から最も年数が経っていたのは、「4年目での新人王獲得」で、1971年の関本四十四(巨人)と1998年の小関竜也(西武)の2例のみである。
「僕がドラフトに指名されたのは、川上(哲治)巨人が3連覇を達成した年でした。V4~V6の時期にあたるプロ1~3年目は、ずっと二軍の多摩川(グラウンド)にいて、相当辛い思いを味わいました」
そう語るのは、関本氏その人だ。糸魚川商工(新潟)から1967年にドラフト10位で巨人入り。巨人で同期のドラフト1位は引退後に日本ハム、ヤクルトで監督を歴任した高田繁氏だった。入団1年目に新人王に輝いた高田氏に対し、関本氏は入団からの3年間で一軍登録はなし。4年目に一軍に定着すると、10勝11敗の成績を挙げて新人王に輝き、話題になった。
「3年間、多摩川生活が続いたが、4年目はいきなりの開幕一軍でした。そんな状態だったので、僕に新人王の資格があることは誰もわかっていなかった。梅雨時に中止が続いてネタがなくなった報知の記者が、連盟の表彰規定を調べていたところ、僕にも新人王のチャンスがあることを発見したんです」(関本氏)
1965年まではプロ1年目の選手のみに新人王の資格が与えられていたが、関本氏の4年目シーズンを含む1966~75年は一軍で試合出場がなければ、何年目であろうと、何歳であろうと新人王になれる可能性があった(1976年から現行規定)。
「4年目なのに新人王候補だということで、にわかに脚光を浴びましたよ。今でも、酒を飲むとホリさん(堀内恒夫)や高田(繁)さんから“オレたちは入団1年目の正真正銘の新人王だけど、おまえのはインチキだ”と言われます(苦笑)」(関本氏)