年齢を重ねて病を患っても、最後まで住み慣れた我が家で暮らしたいという願いを抱く人は多い。ただ、それを実現するには医療者による支えが必要になってくる。
『週刊ポストGOLD 理想の最期』ではジャーナリスト・岩澤倫彦氏が長年にわたって取材してきた、在宅がん患者を支える診療所の医師・スタッフ、患者や家族との交わりをレポートしている。
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群馬県高崎市にある「緩和ケア診療所・いっぽ」──。がん患者や障害を抱えた人が、住み慣れた自宅で過ごす生活を24時間体制で支えている。
酸素ボンベが入ったキャリーを引きながら、恰幅の良い男性が診察室に入ってきた。
会社経営者の松野徹也さん(当時69歳)。希少がんの「胸腺腫」を大学病院で手術した後、肺の転移が判明。抗がん剤治療などを受けるが、腰骨にも転移が見つかり、緩和ケアを受けることにした。呼吸機能も悪化して、酸素吸入が欠かせない。
いっぽの院長・竹田果南医師が体調を尋ねると、「いいわけないですよ、悪くなるばかりです」と苛立ちを隠さない。実は1週間も便が出ず、お腹が張って苦しんでいるという。
それを聞くと「それじゃ今日、浣腸して行きますか?」と笑顔で尋ねる竹田医師。 便秘は医療用麻薬の避けられない副作用のひとつ。こうした問題にも対応して、患者の生活を支えるのも緩和ケアの大切な役割だ。
松野さんは持参したパルスオキシメーターを取り出すと、右手の人差し指を挟んだ。表示された酸素飽和度は、78%。一般的に90%未満は呼吸不全とされる。
「先生、この数値はいくつになると死ぬんですか?」
切実な問いに、竹田医師は柔らかな口調で答えた。
「死んでしまうという数値はないんですよ。でも私がこの数値だったら相当苦しいです。酸素吸入の量は、メリハリをつけてみましょうか」
すると松野さんはこんなことを口にした。 「そろそろ俺もダメだなと思うが、最後にどうしてもやりたいことがあるんです」
それは経営する会社の後継者となる次男・敏和さんを取引先に紹介することだった。そのためには広島で開かれる業界団体の会合に出席しなければならない。松野さんの状態を考えると無謀な旅だが、竹田医師はこう告げた。
「ご自分がやりたいと思う事を、ぜひやって下さい。私たちが全員で支えます」