“国民的ヒーロー”の人気と影響力が大きくなるほど、演じる者の苦悩もまた、大きくなっていった──。『仮面ライダー』主演の藤岡弘、が当時を振り返り、“ヒーローのあり方”を語る。
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1972年当時、僕は本郷猛の死に様ばかり考えていたんです。本郷猛の最期を、どう迎えるべきなのか。
というのも、僕は役者として不器用なタイプ。心身ともに、その役になりきることでしか演じられず、その過程において演じる者の現在・過去・未来を考えてしまう。本郷猛の場合、現在と過去は放送回を重ねるごとに自然と明らかになっていった。じゃあ、その先の未来は──?
そこで僕は、ある想いにたどり着きました。本郷猛は十分に、悪の組織・ショッカーと戦った。与えられた使命を果たしてきた。そんな本郷に残された戦いは自己犠牲を貫き、己の命を次の世代に繋いでいくようなものではないのか。その覚悟も固めていました。
しかし、僕の想像は原作者の石ノ森章太郎先生の一言で木っ端微塵になった。
あれは石ノ森先生が初めて監督を務めた『危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠』(1972年11月4日放送/第84話)のロケでした。撮影の合間に先生と千葉県・鴨川の砂浜を歩いていたとき、僕はさり気なく「仮面ライダーは、いつ死ぬのですか」と訊いたんです。そうしたら、先生がニコッと笑みを浮かべ、「死ぬ? 藤岡君、仮面ライダーは死んじゃダメなんだ。永遠に死なない」といわれて。
何があっても生き抜く覚悟
ショックでした。“死なない”ということは、つまり“死ねない”と気づいたからです。本郷猛の正義を背負い、これからも永遠に戦い続けなければいけない。正直、それは死ぬことよりも辛いのではないか、と思いましたね。
でも、先生の「仮面ライダーは永遠に死なない」の言葉を受け、自分なりに子供の夢と希望を奪い去らないためにも、やはりライダーは死んではいけない、そうでなければヒーローではないと解釈し、“死にゆく覚悟”から、何があっても“生き抜く覚悟”を胸に秘めるようになったんです。
ありがたいことに、「3世代で仮面ライダーを観ています」など、今でもいろんな方々から声をかけていただきます。
30代の男性は「父親に正義の意味がわからなければ、本郷猛の生き様を見よ、と教わりました。だから、自分の息子にも、本郷猛の戦いを見なさい、と一緒に仮面ライダーを観ています」といってくれてね。その父親の横に、5歳くらいの男の子がはにかむように立っていて「本郷さん、握手してください」って、おずおずと小さな手を差し出してくれたんですよ。僕はしゃがみ込み、小さな手をしっかり握り締めました。
そのとき、ふと石ノ森先生の「仮面ライダーは永遠に死なない」の言葉が蘇り、改めて真意を理解することができましたよね。死ぬ覚悟より、ひたすら生き抜く覚悟のほうが尊く重たい歴史を紡げるものなんです。
そういう心構えの積み重ねが結果的に『仮面ライダー』の放送開始50周年という偉業に繋がっているのではないでしょうか。