29日に投開票を迎える自民党総裁選。河野太郎行政改革担当大臣、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務大臣、野田聖子幹事長代行4氏が熾烈な争いを繰り広げている。総裁選に女性候補2人が立候補したのは66年の自民党の歴史で初めて。女性リーダーには何が求められるのか? 作家の甘糟りり子さんが綴る。
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最近よく見聞きするようになった「ジェンダーギャップ指数」という単語は、男女の格差を数値化したものだ。あちこちでもいわれているからご存知の方も多いかもしれないが、2021年、日本は156か国中120位。この体たらくは何度でも繰り返し発信していかなければならない。分野で見てみると経済と政治の順位が低く、政治に至っては144位という不名誉な数字である。もはや先進国とはいい難い順位ではないだろうか。
今回の自民党総裁選では女性候補が四人中二人となった。今になってやっと候補の半分、なのだ。1955年の結党から66年間で女性が総裁選に立候補できたのは2008年の小池百合子氏だけ。今回やっと立候補となった野田聖子氏は過去3回、意欲を示しても推薦人が集まらずに断念している。彼女はかつてインタビューで「自分が手をあげることで後の道につながる」と話していた。男性議員でそんなことを感じる人はいないだろう。彼らの行く道はしっかりと整備されているのだから。
日本にも早く女性のリーダーが誕生して欲しい。どんな人でもいいわけではないが、これまでの格差を埋めるために、意識的に女性を選ぶべきだと思う。能力や可能性が同じくらいなら、女性を優先するべきである。
こうした主張をすると、女性だから優先するのは逆に差別だといちゃもんをつける人が少なくない。そういう声の主はたいてい男性、それも中年か老年の方だ。偏見ではなくて、私の経験では少なくともそうだった。おそらく彼らは性別で差別をされたことがないのだろう。そして、差別というのはなんとなくスルーされたり気がつくと梯子を外されていたりすることではなく、サッカーの審判のようにホイッスルを鳴らされたりレッドカードを出されることだと思い込んでいる。世の中の差別は、誰しもが遠目にわかるものだけではないのだけれどなあ。
能力が同じだったとして、女性という理由で選ばれたとしたら、選ばれなかった男性がかわいそうという意見がある。それはわかる。でも、その場合の男性は女性よりも明らかに秀でている何かを示さなければならない。そんなの不公平だって? いやいや、あらゆる場面で女性たちはそうやって道を切り開いてきたのだ。男性よりも優れていなければ選ばれないというプレッシャーを抱えながら。今まで不公平に気が付かなったのを棚に上げて、逆差別だのかわいそうだのいわれてもね。
自民党総裁選に話を戻そう。では、高市早苗氏にリーダーになって欲しいのかといわれれば、それは違う。彼女は弁が立つし話には具体性があって、原稿の棒読みですら怪しかった菅総理大臣の後となると輝いて見えるのはわかるが、「選択的夫婦別姓に反対」で「女系天皇否定」の人が女性全体のことを考えてくれるとは思えない。夫婦の姓を統一するために煩雑な手続きで負担を強いられているのはほとんどの場合が女性である。四人の候補の中で反対しているのは高市早苗氏だけだ。