【著者インタビュー】垣根涼介氏/『涅槃』(上・下)/朝日新聞出版/各1980円
2013年刊行の『光秀の定理』以来、近年は専ら歴史小説に軸足を移しつつある。
「僕は、現代的な視点で切り取れる人物を描いてきたつもりですし、今回の宇喜多直家も、まさにそうです」
垣根涼介氏3年ぶりの新作『涅槃』は、あの斎藤道三や松永久秀と並ぶ三大梟雄、宇喜多直家の「名誉回復のために」、書かれたと言っても過言ではない。
「彼は、後世で言われるほど悪いことはしてない。なのに、現代になっても評価が散々で、気の毒に思いました。で、ならばせめて僕なりとも彼の味方をしてあげよう、と(苦笑)。
特に宇喜多家に関しては、直家が50代半ばで病に斃れ、息子秀家も関ヶ原で西軍について敗れた後、岡山城に入った小早川秀秋が記録を全て焼いてしまったせいで、俗にいう勝者に都合のいい歴史だけが語られてきた。確かに彼は舅の寝首をかき、一殺多生をよしとした。でも、その生き残るためのある種の合理性を、武士道云々で叩くのは違うと思う」
光秀、信長ときて、なぜ秀吉ではなく宇喜多直家?
「秀吉って、僕にはあまり興味がそそられない人物なんですよ。今で言えばグーグルやアマゾンに入社して、たまたま最後に社長になっただけだよね、と感じる。
直家は違う。阿部善定という備前福岡の豪商の家に父・興家共々引き取られ、居候同然の父親が善定の娘を孕ませたり、母親が出て行ったり、特に満5歳から14歳までは肩身の狭い環境で育った。その商家育ちの経験が後々の行動様式に影響したのは確かですし、武芸経験もろくにない中、実家を滅ぼした相手に仕え、果ては独立した武将なんて、彼以外にいないと思います。
しかもその時点ではもう、東の織田、西の毛利が勢力を二分し、あとは限られたパイを食い合うしかない。そんな大勝ちなど望めない状況で負けない戦に徹し、撤退戦を生き抜いた直家の姿が、僕にはアメリカと中国に挟まれ、国内市場がシュリンクする中で何とか妥協点を見出すしかない今の日本及び日本人と、重なって見えるんです」
物語は天文3年、商用で平安以来の潮待ち港、鞆の津を訪れた善定が、同地に隠棲する興家一家の消息を知ったことに始まる。元々先代の能家とは親交があり、砥石城下の治安と発展にも寄与したこの勇将を善定は敬愛したが、嫡男興家はというと、〈あわれなほどに人が良い〉1点のみ。