森友学園への国有地払い下げをめぐる財務省の公文書改竄問題で自殺した近畿財務局職員の赤木俊夫さんの遺書を2018年にスクープしたジャーナリストの相澤冬樹氏。現在も精力的に取材活動を続けているが、8月下旬に新型コロナ感染と診断された。保健所への切実な訴えが実って何とかホテルへ辿り着いた相澤氏だが、症状が悪化してしまい──。2週間の闘病の様子を本人が振り返る。(前後編の後編)
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コロナと診断されてから5日後、なんとか隔離施設(ホテル)に入ることができた。ところが、「医療」への道は遠かった。
入所先は大阪の中心部、心斎橋界隈にあるビジネスホテル。コロナ患者隔離用に行政が1棟借り切っている。ここに着いてわかったこと。それは、そこは隔離施設ではあるが、医療はほとんど提供されていないということ。医師は常駐していない。看護師はいるが、日に2回、電話で安否を確認するだけ。体調が悪化したら、そのことを自分で伝えなければならない。体温などは自分で測る。治療はもちろん、診察らしき行為もない。
隔離用ホテルに到着した時、僕の症状はさらに悪化し、意識がもうろうとしていた。入所時に書かされる同意書の住所・氏名もミミズがのたくったような字だ。説明は受けたのかもしれないが、まったく覚えていない。何も判断できない状態だから、自分で体調の悪化を判断して伝えるなんて無理というものだ。
ホテルに着いたその日、僕はベッドに横たわったまま、うんこを漏らした。コロナによる低酸素状態で動けなかったからだろう。相当に症状が悪かったことは間違いない。
でも僕はそのことを看護師に伝える気力もなかった。病気が悪化するって、そういうものだろう。「自分で申告しなさい」という仕組み自体に無理がある。僕はホテルの部屋に一人放置され、誰にも見られることなく、悪化する症状に苦しんでいた。コロナがインフルエンザと大差ないなんて誰が言ったんだ? と今は思うが、その時はそういうことを考える余裕はまるでなかった。ホテルでは毎食、無料の弁当が支給される。僕はまったく食欲がなく、初日は一口も手を付けられなかった。
でも食べないと体力が持たない。翌日の昼食時、弁当を受け取りに1階へ降りようとした。ところがエレベーターホールで強烈な立ち眩みに襲われた。ふらついて倒れそうになる。その場に居合わせたホテルのスタッフが僕の体を支え、エレベーターで1階まで下してくれた。連絡を受けてホテル駐在の看護師が飛んでくる。肺の機能を示す血液中の酸素飽和度を測る装置を指に取り付ける。結果を見て叫ぶ。
「数値が低すぎる! 酸素吸入器が必要です。すぐに部屋を移ってもらいます。入院も手配します」
僕は数値を見る余裕もなくいくつだったかは分からないが、すぐさま、ホテル内の酸素吸入器を供えた部屋に移された。入院先もすぐに探すという話だったが、なかなか見つからない。結局、決まったのは翌日だった。隔離用ホテルから救急車で病院に搬送される。ところが不思議なことに、搬送先がどこなのか、誰も教えてくれない。救急車が病院に着いて、車いすに移されて中に運び込まれる、という段階になっても誰も言ってくれないので、救急隊員に尋ねた。
「僕はどこに搬送されたんですか?」