10月11日、プロ野球のドラフト会議が開催される。今年の注目は「高校BIG3」と呼ばれる3人の高校生右腕だが、そのなかに一度も甲子園の土を踏めなかった球児がいる。高知高校の森木大智。「150キロを投げた中学3年生」として注目を集めながら分厚い壁に阻まれ続けた森木の軌跡を、ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
野球王国・高知といえば、馬淵史郎監督率いる明徳義塾。明徳が長く高知で一強時代を築き、古豪・高知高校は夏に限っては2009年を最後に甲子園から遠ざかっていた。森木が聖地にたどり着くために、越えなければならない大きな城壁が馬淵だった──。(文中敬称略。前後編の後編)
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両者の初顔合わせは2019年夏の高知大会決勝だった。森木は1年生ながらエースナンバーを背負い、3回途中からマウンドに上がった。打者としては高校第1号の一発を放つも、3失点を喫して1対4で敗れてしまう。
「150キロの投手が相手でも、120キロしか出ない投手が踏ん張って勝つことができた。高校野球のお手本のような試合ができた」
試合後、そう高笑いしたのは馬淵だ。大会の2か月前から打撃マシンを150キロに設定して森木対策を周到に講じ、それが功を奏した。
その後、森木はヒジに違和感を覚え、1年秋は主に野手として出場。センバツにはたどり着けなかった。
当時を高知高校監督の浜口佳久はこう振り返った。
「中学時代の150キロが、本人にとって重荷になっていた。150キロの壁がなかなか越えられないという焦りをボソッと口にしたこともありました。ただし、単純に速いボールを投げられるだけでは抑えられないことを分かってきた時期でもあったと思います」
コロナ禍に見舞われ高知県独自大会となった昨夏は3年生にベンチ入りを譲った。昨秋の高知大会はやはり明徳との対戦となり、相手エースの代木大和と延長12回を投げ合い、1対1のまま日没を迎えた。翌々日の再試合では敗れてしまう。
直後に行なわれた秋季四国大会で勝利すればセンバツ出場に近づく高松商業戦も2対5で敗れた。その試合を「高校に入って一番悔しい敗戦だった」と振り返ったのは今春だった。
そして、最後の夏、決勝の相手は明徳。先発した森木は2対2の同点9回のマウンドに上がった。だがその時、森木の身体に、その長い指に、異変が起きていた。握力が失われ、力のこもったボールを投げられない。結局、ピンチでマウンドを譲ることとなり、森木の夢は潰えた。
明徳にとって21度目となる夏の甲子園出場を決めた試合後、馬淵は大会前に一度も甲子園にたどり着けていない高知高校が「優勝候補の本命だ」とする記事に怒りを覚えたと打ち明け、2年半前に目にした森木のコメントにも言及した。
「入学した頃、『5回甲子園に行く』と公言しとった。素材は抜群やけど高校野球はそうそう甘くはない」
その発言の真意を訊くべく、私は明徳の新チームの秋季大会初戦にも足を運んだ。勝利後、駐車場に向かう馬淵を呼び止めた。
「うちとの決勝では初回から150キロを投げとった。スピードにこだわらなくても、135キロぐらいのボールで十分に抑えられるはずなんですよ。初回からあれだけ力を込めて放っておったらそりゃあ、9回までもちません。私はね、森木に対して特別な対抗意識を持ったことはない。明徳の監督としてやるべきことをやった。それだけです」