現在73歳の諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、著作『がんばらない』で病や死との向き合い方を提示したのは60代になったばかりだった。それから約十年、みずからの「老い」に直面することで分かってきた、面白く生きる技術について語る。
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夜中に何度もトイレに起きるようになった、皮膚が乾燥し、かゆみでよく眠れない、人の名前がのど元にひっかかって出てこない……。そんな出来事で「老い」を感じ始める人も多いだろう。
作家・森村誠一氏は『老いる意味』(中公新書ラクレ)のなかで、50歳ごろ、眉毛が伸びてきてショックを受けたと述べている。
老いとの出合いは、不意打ちである。そして、さまざまな衰えが波状攻撃のように襲ってくる。「老いるショック」である。
精神科医のキューブラー・ロスは、死を受容するまでに5段階の心の変容があると述べている。まず「否認」し、次に、どうして自分が?と「怒り」を感じる。やがて死から逃れるために何かにすがろうと「取引」するが、やはり死から逃れることはできないと「うつ状態」になり、最後に「受容」に至る。
「老い」のショックは、「死」のショックほど大きくはないかもしれない。けれど、次々と老いの事象が起こるたびに、死の受容5段階と同じような過程をたどるのではないだろうか。そして、この過程を行きつ戻りつしながら、老いを受け入れていく。
「自由になれる」これこそ、老いのキモ
老いを受け入れることは、敗北を認めるような、さびしさがある。40、50代のころはそんなふうに思っていた。しかし、最近はちょっと違う受け止め方をしている。老いを生きることは、自由になっていくことだと気づいたのだ。
ぼくは団塊の世代。若いころは、「男はこうあらねばならぬ」という刷り込みが強く、「モーレツにがんばって成功を手に入れる」という根性論が支配していた。そんな空気に反発しようとしてきたつもりだが、知らないうちに染まっている部分もあった。
そんな社会や自分自身が作った縛りから、「老い」は解放してくれる。仕事を退職し、子育ても終わった。ようやく身軽になって、やりたいことがやれる時が来たのである。
サマセット・モームいわく「老年の最大の報酬は、精神の自由だ」。まさに、これが老いのキモだと思う。