9月28日に刊行されたエッセイ集『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(新潮社)で、初めて小説に挑戦したお笑いコンビ・ハライチの岩井勇気(35)。彼はなぜ、小説を執筆することになったのか。また、そこに込めた思いとは。本人に話を訊いた。
2冊目の単著となる『どうやら僕の日常生活はまちがっている』には、雑誌などでの連載に加え、書き下ろしの小説「僕の人生には事件が起きない」が収録されている。小説は淡々とした筆致のエッセイ調で書かれているが、主人公が異世界のような場所に迷い込んでしまう、どこかSFめいた内容だ。
ただし、異世界とはいっても劇的な出来事が発生するわけではない。現実世界とほとんど同じような場所で、物語は岩井がエッセイとして綴る日常生活と代わり映えがしないと言ってもいいだろう。
そもそもエッセイと小説はどのように線引きできるのだろうか。一般的にはフィクションの有無が指標とされ、日常的な出来事を素材としたフィクションは私小説とも言われるが、読者にとっては、エッセイが全てノンフィクションのみから成り立っているという保証はどこにもない。あらゆるテキストは常にフィクションの可能性を孕んでいるとも言える。
岩井が発表したエッセイも、書かれた出来事が全てノンフィクションなのかどうかは、テキストを読むだけでは究極的には判別不可能だ。この点について彼は「そうなんですよ」と、次のように説明を始めた。
「僕はエッセイを書いていることになっていますけど、読者からしたら全て本当に事実なのかどうかは確認しようがないですよね。エッセイと言いつつ創作を含む可能性もあって、だとしたら小説になりかねない。じゃあ小説とエッセイの違いってなんだろうと考えたときに、僕の中では『一緒じゃん!』って結論が出たんです。本業の人は『そんなことねえよ』って言うのかもしれないですけど。
でもエッセイを書いていたら『じゃあ次は小説に挑戦してみましょう』みたいに担当編集の人が言ってくるわけですよね。『小説を書いたらワンランク上の人間になれますよ』みたいな(笑)。それってなんかエッセイより小説の方が格上みたいで納得いかなくて、だったらエッセイみたいな小説を書こうと。ほとんど同じなのに小説ということになれば認められるのだとしたら、皮肉なもんですよ」