仏頂面で腕を組み無言のままベンチに座る──球史に数多いる監督の中でも毀誉褒貶が激しいのが、落合博満だ。そんな彼の素顔に肉薄したノンフィクション『嫌われた監督』(文藝春秋刊)がベストセラーになっている。著者の鈴木忠平氏が本誌に特別寄稿した。(全4回の第2回)
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落合の孤独をもっとも世に知らしめたのは、2007年11月1日のひとつの采配だった。
日本ハムファイターズとの日本シリーズ、中日は日本一に王手をかけて、本拠地ナゴヤドームでの第5戦を迎えていた。
この試合で落合は、8回まで1人もランナーを出していない先発投手・山井大介を降板させた。1点差を守る9回のマウンドにストッパーの岩瀬仁紀を送ったのだ。
完全試合を目前にした投手にリリーフを送った監督は、後にも先にも落合だけだ。
史上初となる日本シリーズ完全試合のロマンを捨て、わずかでも勝利の確率を高めることを選んだ。落合の采配は、球界の枠を超えて議論となった。この瞬間から「非情」は落合の代名詞となり、中日を半世紀ぶりの日本一へ導いた事実が霞むほどの非難が寄せられた。
落合の決断に味方はいなかった。
私はあの日、落合の手記をとることになっていた。全てが終わった後でなら話してもいい──それが落合の提示した条件だった。新聞社と記者にとっては締め切りとの戦いだった。落合に試されているような気がした。
ゲームが終わり、記者会見、祝勝のビールかけ、テレビ出演と、監督としてのあらゆる仕事を終えた落合が私の前に現れたのは午前零時をまわったころだった。
薄暗いナゴヤドームの駐車場で立ったまま、落合は語り始めた。そして、最後にあの采配についてポツリとこう言った。
「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなけりゃならないんだ。誰か1人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えば、わかるだろ?」
私はその言葉を耳にして確信した。
あの交代劇には「事実」と「真実」があった。