仏頂面で腕を組み無言のままベンチに座る──球史に数多いる監督の中でも毀誉褒貶が激しいのが、落合博満だ。そんな彼の素顔に肉薄したノンフィクション『嫌われた監督』(文藝春秋刊)がベストセラーになっている。著者の鈴木忠平氏が本誌に特別寄稿した。(全4回の第3回)
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2021年現在、電車に乗れば、7人掛けの座席に並んだうち、5人か6人はスマートフォンの画面を覗いている。今や個人の世界の半分は画面の中にあると言っても良いのかもしれない。
私を含めた人々は、その中にそれぞれが直面している問題を解くための方程式や答えを探している。あるいは「フォロワー」「登録者」という言葉で表現されるデジタル上の賛同者を探している。そこではより多くの賛意を集めた者がステータスを得る。誰かを論破して黙らせた者が「正解」とされる。
一方で人々は、その賛意が一瞬にして消えることも、舞台から引きずり降ろすための敵意となりうることも知っている。巨大災害やパンデミックという答えのない混乱に直面したとき、「イエス」のみで築き上げられた組織や統治者がいかに無力であるかということも、目の当たりにしてきた。
それでもなお、人々は他者の同意を求めて彷徨い、どこかに正解はないかと探している。私もまたその欲求から逃れたいと思いながらも、逃れられずにいる。
落合の言葉や佇まいが、何年経っても、心の片隅から消えないのは、そのためではないだろうか。
落合は他者の賛同を必要としなかった。善悪や正誤を超えたところで生きていた。その姿が時代を超えて脳裏に焼き付いている。
あれは監督になって何年目だったか。オフシーズンのある日、落合が番記者たちにこんな話をしたことがあった。
「いいか、好きな女と初めて食事にいくときは、ラーメン屋にいくんだ」