現在、快進撃を続けるヤクルトの優勝へのキーマンが主砲・村上宗隆。3年前のドラフトで「清宮(幸太郎)の外れ1位」だった彼は、いかにして躍進を遂げたのか? ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。(前後編の後編、前編は〈ヤクルト・村上宗隆「清宮の外れ1位」が覚醒するまで〉)
2017年のドラフト会議で、村上は7球団が競合した清宮幸太郎の抽選に外れた3球団に指名され、交渉権を引き当てた東京ヤクルトに入団した。背番号「55」を付けた村上のプロ第一号は、一軍に初めて昇格した2018年9月16日の初打席だった。弾丸ライナーでライトスタンドに飛び込んだ。55番の偉大なる球界の先輩・松井秀喜が高津臣吾(現・東京ヤクルト監督)から放った第一号とまったく同じ軌道であり、その一発は2000年代生まれの選手として初めての本塁打だった。
その年からヤクルトのヘッドコーチに就いていた宮本慎也氏は、村上の初本塁打をベンチから見守った。
「第一号本塁打を見てもらうと分かるんですが、あの頃の村上はテークバックが非常に浅いんです。あれではプロの速い力のあるボールが打てず、それを気にするあまり低めのボール球を振り出すのは先人が証明してくれているんです」
ゆえに、秋季キャンプで、宮本氏は村上にそれを伝え、テークバックを深くした素振りを命じた。
「すると、わざと変なスイングをした。間違いなく、あれはわざとでした。なるほど、この子は頑固やな、本人が気付くまでこちらは我慢せなあかんな、と思いましたね」
翌2019年シーズン、村上は開幕から一軍に帯同し、スターティングメンバーに名を連ねた。
「案の定、打てませんでしたよね。ところが、この試合で打てなければいよいよスタメンから外すという巨人との試合で、菅野智之から2本のヒットを打った。レギュラーを獲ってのし上がっていく選手って、こういう巡り合わせにありますよね。それで結局、起用され続け、最終的には36本打ったのかな」
3年目の昨年は試合数が少なかったものの、28本塁打を放ち、打率は前年の.231から.307に大きく上昇した。
「正直、打率はもう少し時間がかかると思っていました。1年目は闇雲に真っ直ぐだけを待って対処していた。初めての一軍なんですから、それぐらいでいいんです。昨年ぐらいから打席で考えはじめ、今年になると変化球を待っているのか、真ん中の真っ直ぐを簡単に見逃したりする時もある。1年目に比べればテークバックは深くなってきました。それは石井琢朗(現・巨人三軍野手コーチ)の功績。素振りの時、上げた右膝にバットのグリップをタッチしてから、バットを引いてトップを作り、振り出していく。今もその素振りをやっているはずです。大事に取り組んでほしい」