古くから捕鯨の伝統が受け継がれてきた日本では、1980年代後半から「調査捕鯨」が続けられてきた。そして2019年には「商業捕鯨」が再開され、今年も漁師たちが海に出ている。ノンフィクションライターの山川徹氏が、40年にわたって捕鯨船に乗り続ける1人の漁師のライフストーリーを辿った(文中敬称略)。
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海原に砲声が轟いた。
硝煙とともに、大砲から発射された銛が、海面を進む巨大な影にまっすぐに向かっていく。直後、鯨影が激しく揺れた。巨大な尾びれが海面を叩く。血が混じった水しぶきが飛び散り、やがて地球上でもっとも大きい野生動物は動きを止めた……。
14メートルを超えるニタリクジラを捕獲した瞬間だった。
「あれだけ大きなクジラを捕るために、もっとも大切なのは乗組員の和です。20人がクジラを捕るというひとつの目的のために、それぞれが与えられた役割を果たさなければなりません。私は、捕鯨船のあらゆる仕事をしてきました。そのおかげで、みんなの苦労や、若い船員たちの不安も分かる気がするんですよ」
そう話すのは、捕鯨船・第三勇新丸の船長、阿部敦男である。
かつて捕鯨基地として栄えた宮城県女川町で生まれた彼は、1981年に捕鯨船を運航する日本共同捕鯨(現・共同船舶)に入社する。以来、40年間、捕鯨一筋に生きてきた。
少年時代の記憶もクジラとともにある。家ではクジラ料理が頻繁に食卓に上った。刺身だけではなく、干物や味噌漬けなどほかの地域では口にできない珍しい料理もよく食べた。
ある日、阿部少年が港に行くと、海面に巨大な黒い物体が浮いている。なんだろう。ブイかとも思ったが、なんと捕獲したばかりのマッコウクジラだった。そんな環境で育った阿部は、地元の宮城水産高校を卒業するとすぐに捕鯨船に乗り込んだ。
捕鯨の花形は“てっぽうさん〟と呼ばれる砲手である。船首に立ち、クジラと対峙するてっぽうさんは、若い乗組員たちの憧れの存在だ。だが、誰もが砲台に立てるわけではない。人柄や仕事ぶり、運動神経、洞察力、どんな状況にも慌てない冷静さなどが備わり、かつ経験を積んだ船員が見習い期間を経て、捕鯨砲のトリガーを握ることができる。
阿部もてっぽうさんへの憧れを抱いていた。しかし乗船後に配属されたのは、厨房係。キッチンの責任者である司厨長に従って、調理を手伝って先輩たちに給仕する。
海原に巨大なクジラを追う。そのイメージと与えられた仕事とのギャップに「ショックでやめようと思った」と苦笑いするが、やがて仕事ぶりが認められ、甲板員、航海士、砲手、船長へとキャリアを積んでいく。