放送中の日曜劇場『日本沈没-希望のひと-』(TBS系)で地球物理学の最高権威である世良徹教授を演じる國村隼(65)。その“強面”には40年前の映画デビューから国内外でオファーが絶えることがない。俳優・國村隼の役作りに迫る。(前後編の後編。〈國村隼の魅力 『日本沈没』でも好演、世界から求められるその強面〉の続き)
「降りることをやめました」
國村にとって映画初主演となったのは1997年の『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を日本人で初めて河瀨直美監督にもたらした。奈良の山村で撮影されたこの作品では、地元の中学生だった尾野真千子が河瀨監督に声をかけられ女優デビューしたことでも知られる。河瀨監督が語る。
「山間部にいる武骨な男性の役でしたが、國村さんの第一印象は少し痩せていて都会的だったんです。イメージと少し違うのかなと思いながら、お話をしていた時に國村さんが『山に入ったらずっと釣りしとこうかな』って話されたんです。あぁ、この方はそうやって役に入り込んでいくのかと当初抱いた印象の違いは払拭されました。
演じるのは、村の意見が分断する狭間に置かれ、その胸の内を家族にも言えずにいる人。そういうのを國村さんは自分の中にすっと落とし込むために、カメラが回っていないオフの時も釣りをしながら思いふけっているように過ごしていました。撮影外でもずっと父親として振る舞っていて、小さい子供と一緒にお風呂に入ったり、ある意味全部さらけ出して役に入り込まれていました」
國村は撮影の1か月前から山で生活を始めるという念の入れようだった。
ただ、國村以外の出演者は演技未経験の「素人」だった。スタッフも平均年齢が28歳と若く、20代半ばの河瀨監督も初めての劇映画で、撮影準備や脚本など制作の段取りが悪くなり、現場に不協和音が響いていた。一度だけ、國村が「舵取りのない船に乗ってるみたいな気がする。どこにこの船が行くかわからないから非常に不安だ」と口にしたことがあったという。
「それをきちんと言うために私のいたロケ現場に来て、縁側で待っておられた。今日限りで降りるという最終通告だったと思うのですが、その日はすごくいい天気だった。そしたら國村さんが『今日限りで山を降りようと思っていたんだけれど、ここに座っていたらとても気持ちの良い光と風だったので、降りることをやめました』と。あの時、本当に降りられていたら『萌の朱雀』はなかったんです」