三密が避けられるスポーツとして今、ゴルフがブームだ。“ラウンドすれば相手の人間性までわかる”という点にゴルフの魅力を感じる人もいるだろうが、それは令和の今だけでなく、昭和の時代も同じだった。田中角栄が初めてクラブを握ったのは40代になってからだった。当初はアベレージゴルファーだったが、「1974年にロッキード事件で総理を辞任した後は、空いたスケジュールを埋めるようにゴルフに出かけるようになった」──そう語るのは、角栄側近で自治大臣などを歴任した元衆院議員・石井一氏だ。石井氏が振り返る
* * *
オヤジがゴルフに熱心だったのは、体力を養うという目的に加え、常にマスコミから監視される緊張感から解放されたかったところがあると思います。プレーしている時だけは、世論やマスコミの批判から逃れられた。
スコアはだいたい90前後。飛距離はそんなに出ないけど、真っすぐ飛ぶ。ウォーミングアップも素振りもせずに、どんどん打っていくんです。
“角栄流”のゴルフはスコアよりも、どれだけ多くのホールを回るかが重要。グリーンに乗ったらパターを打たず、どんなにピンが遠くても2パットの換算でボールを拾い、次のホールにスタスタと歩いていく。それで他の人のスコアに関係なく必ず“いの一番”にティショットを打つわけです。そのままコースの端を歩いて2打目地点に向かうので、後ろから打つ我々が「オヤジ、危ないですよ!」と声を掛けるのですが、「あぁ」とか「うぅ」とか言って「早く打て」と手を振るだけ。ボールを当てたら大変だから、我々はそこそこに打って追いかける。ついていくだけで一苦労です(苦笑)。
スコアカードには「45分」とか「48分」とか、何分でハーフ(9ホール)を回ったか書いている。そのペースで3ラウンド半くらいやるんだからね。SPもついてきますが、スーツ姿で追いかけるから汗だくでしたよ。
〈“コンピューター付きブルドーザー”の異名を取った超人的なバイタリティはゴルフでも健在だった。よくプレーした「軽井沢72ゴルフ」では、キャディマスターが前の組と5ホールほど空けた状態でスタートさせていたが、「それでも9ホールが終わる頃には前の組に追いついていた」と石井氏は笑う〉
そんな調子だから、前の組をどんどんパスして(抜いて)いく。ティグラウンドで待っている前の組の人たちに、オヤジが「やあ」と片手を挙げる“角栄ポーズ”で声を掛けると、笑顔で先に打たせてくれた。パーンと打ってスタスタと歩いていく姿に、たいていのゴルファーは驚いていました。残された我々もその視線のなかでドライバーを握るので、平常心で打つのは大変でしたけどね。
※週刊ポスト2021年11月5日号