三密が避けられるということもあり、令和の世で多くの人に愛されているゴルフ。昭和の時代も絶大な人気を誇った。昭和を代表する政治家の一人である田中角栄が初めてクラブを握ったのは、40代になってからだったが、「1974年にロッキード事件で総理を辞任した後は、空いたスケジュールを埋めるようにゴルフに出かけるようになった」──そう語るのは、角栄側近で自治大臣などを歴任した元衆院議員・石井一氏だ。石井氏が「忘れられない1日」として挙げたのが1980年8月18日の軽井沢72ゴルフでのラウンド。西コース14番で石井氏はホールインワンを達成した。石井氏が振り返る。
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議員のコンペで、同組にはオヤジの他に林義郎君(元蔵相)、奥田敬和君(元運輸相)がいた。コンペの時はオヤジも(普段は打たない)パットを打ったし、ティショットも前のホールのスコアの順にやりました。
そのホールは砲台グリーンで、最初に打った私のボールの行方はティグラウンドからよく分からなかったが、前のホールで大叩きして肩を落としながら坂を下りてくる途中のオヤジが“入った! 入った!”と大騒ぎした。
真っ先にグリーンに走って行って本当にカップインしたのを見ると、自分のことのように喜ぶんです。それで「石井、いくら持っている?」と聞くから、「20万~30万円です」と答えると、「それじゃ足りないな」と言ってSPにカバンから分厚い封筒を持ってこさせた。
中には100万円か200万円くらいの札束が入っていて、すれ違う人、すれ違う人に「ホールインワンが出たんだ」と言って1万円札を1枚ずつ渡していくんです。キャディや食堂のウエイトレスだけでなく、人数を聞いてキッチンの料理人から清掃係まで配るように指示するし、クラブハウスですれ違うプレーヤーにも渡していました。
どんな金持ちでも1万円を差し出されたら受け取りますよ(笑)。「ホールインワンはめったに出ない。その福をみんなに分けたいんだ」と言っていましたが、いかにも田中角栄らしい金銭哲学だと思いましたね。
あまりに騒ぐものだから、私は軽井沢72ゴルフに行くと「ホールインワンの先生」と呼ばれるようになってしまいました。
※週刊ポスト2021年11月5日号