放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。学生時代に大いに影響を受けたテレビ演芸、我が古典落語の青春時代についてつづる。
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エンタメ界の大御所、大衆芸能の大看板の死が相次ぎ寂しい秋でもある。普通の年寄り、ひとりが亡くなっても図書館3館分の知識と情報を失うと言われている。それがこれだけの人物である。図書館が100館無くなったぐらいの日本文化の喪失である。すぎやまこういち(90)、柳家小三治(81)。合掌。
若い人にとってすぎやまと言えば「ドラゴンクエスト」の音楽だろう。60歳を過ぎてから「ゲーム音楽」というジャンルを確立させたのは凄いことだ。東京五輪の入場曲でも圧倒、まさに日本の文化の代表だった。
その前の世代の人間にとってすぎやまと言えば大ヒット曲の作曲家。ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』から名付け親となったザ・タイガースの『モナリザの微笑』『花の首飾り』『君だけに愛を』、ガロ『学生街の喫茶店』、ヴィレッジシンガーズ、島谷ひとみ『亜麻色の髪の乙女』。
その前の世代、私のような“テレビ視聴第一世代”にとって本名・椙山浩一とは、テレビで最初の“笑い”を作り毎日届けた大人物。東大卒業後ラジオの文化放送へ入りそれからフジテレビ開局1年前に入社し、日本初のテレビコントを帯で始めた。売り出し前のクレージーキャッツに会い、青島幸男というコント作家を見つけ、ディレクターとして12時50分から毎日その日のニュースをネタにした『おとなの漫画』を放送。
中学生の私は昼休みひとりで早めのランチをして、塀を乗り越え家へダッシュ。テレビでそのコントを見て何喰わぬ顔で学校へもどる。この時、ハナ肇がフリップで叫ぶ「作・青島幸男」に憧れ60年後こんな風になっている。