「子どもの貧困」が社会問題としてたびたび取り上げられるようになって久しいが、そんなことはあり得ないという人たちがいる。夏休みになると給食がないので昼ご飯を食べていないとか、必要な文具が買えない子どもがクラスに何人もいると聞かされても「今の日本で本当なのか」「信じられない」と言い、自分も安月給だったが中流だったのだから、いまもそんなに変わらないはずだと言う。その人たちの多くは、すでに仕事をリタイアした世代だ。俳人で著作家の日野百草氏が、安月給と自嘲してもマイホームをもてた世代の人たちに、どうやって現役時代を過ごしてきたのかを聞き、今と何が決定的に違っているのかを探った。
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「私なんか年収400万しか無かったけど子どもを2人育てたよ。それなのに、おかしな国になったもんだ」
70代で年金暮らし、悠々自適の丸本光二さん(仮名)に都下の駅ビルにある喫茶店でお話を伺った。目的は私事の別件だが、ついでに現役時代の話を聞いてみようと考えた。彼は中堅企業に勤め、高卒のサラリーマンで男の子2人を育てあげた。
「贅沢はできなかったけど、東京の端っこにマイホームも買ったし女房は専業主婦で何の心配もいらなかったね。次男がグレたくらいかな。40代無職、まだ家にいるよ」
次男との仲は悪く家で顔を合わせても話はしないという。そちらも気になったが、それ以上に丸本さんのサラリーマン生活のほうが気になった。彼は、世代や子どもの男女構成は異なるが、立ち位置的にはまさに『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし(中小企業の商社勤務、係長、マイホームとマイカー、妻は専業主婦で子あり)であった。社会事情の変化とネットを中心とした「ネタ化」により勝ち組と誇張されているので、あくまでイメージとしての話である。連載当初のひろしは勝ち組ではなく、しがないサラリーマンという設定だった。
「サラリーマンなんてなりたくなかったよ、お小遣いも定年間際まで1万円で都心まで1時間以上だ」
いかにもな昭和のサラリーマンだった丸本さんは高度成長期の満員電車に揺られ、会社人生を全うした。
「仕事なんかしたくなかったからね、総務の課長止まりだった。課長と言っても部下は少なくて名ばかりだったし、2000年くらいからは派遣で来るお姉ちゃんたちのまとめ役だった、まあ窓際だね」
自嘲もあるのだろうが窓際で定年というのもまさしく昭和、丸本さんの定年は2000年代で平成だが、丸本さん的にも感覚はずっと昭和の自覚があるという。
「20代、30代の一番いい時代を昭和に過ごしたからね、会社は嫌だったけど楽しかったよ」