ヒットした作品、あるいは評価の高かった作品は後の番組づくりにも影響を与えるものである。しかし、今回の朝ドラはちょっと趣が異なるのかもしれない。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。
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NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』が幕を閉じました。突出した個性際立つ作風だったことは間違いない。ブレずに独自の世界を描き切ったことに評価が出るはずです。その一方で、NHK朝ドラで今後こうした作風が繰り返されるとはちょっと思えない。それほど異色でした。
このドラマは5ヶ月超という長い時間をかけて、東日本大震災を背景に「津波で大切な人を失った」個人の経験とトラウマを描き、それを少しずつ昇華させていきました。
主人公・百音(清原果耶)は津波が発生した時に地元の島にいなかったことがトラウマとなっている。百音の妹・未知(蒔田彩珠)は、津波で母親(坂井真紀)を失ったショックを引きずる亮(永瀬廉)に寄り添うが、実は自分も祖母(竹下景子)を置いて先に逃げたことが心の闇となっている。亮の父・新次(浅野忠信)は妻の死を受け入れられず現実逃避し酒におぼれている……。
言葉にできない心の中の傷を互いに察したり気遣ったり悩んだりしながら、日々を生きる人たちの群像劇。派手な展開もなく、少しずつ気付いて乗り越え、現実を受け入れていく普通の人の日常を月曜から金曜まで15分ずつ刻むように描いていった。その意味で異色でした。
「諦める」ことを描くために時間をかけた
通奏低音のように存在していたのが『かもめはかもめ』という歌です。かつて亮の母がカラオケで楽しそうに歌った十八番。新次の中にその記憶が深く刻まれていて、いよいよ妻の死を受け入れ死亡届けを出す時にこの歌を口ずさむシーンは日本中の視聴者を涙させた。
「かもめはかもめであり、背伸びをしても後悔しても運命をうらんでもどうやっても他の鳥になることはできない。ひとりで生きていくことが自分には似合っている」という厳然たる現実。特に歌の冒頭にある「あきらめました」は強烈です。
「諦める」ことを描くために長い時間をかけた朝ドラ。一見すると「あきらめる」ことは後ろ向きの行為に思える。しかしそれだけでなく「あきらめる」ことの中に「明かに見る」という意味もある。そう考えると腑に落ちる。
目を背けてきた現実を「明か」に見据えて受け入れた時、人は変わっていく。新たな一歩を踏み出す。だからもう百音や未知や新次や亮が悩む物語は繰り返されない。悩みに沈んでばかりでは次を生きていけないから。
多くの視聴者は5ヶ月超の間、登場人物たちの悩みに感情移入し見守ってきたでしょう。毎朝「悩んでいる人」の姿を確認し、「つらいのは自分だけじゃない」と安心感を得た人もいたかもしれません。一方で、人の悩みを毎朝のように見せられたくない、という感想もありました。「次はどうなるんだろうというドラマの楽しみが全くなかった」「リアルな心の傷を表現するより、被災地の人が前向きになるような内容にして欲しい」という声も聞かれました。
ドラマティックではない朝ドラだから、賛否も分かれる。脚本家の安達奈緒子さん自身、「提示したものが、すべての人に受け入れられるとは考えていません」(2021年10月16「リアルサウンド」)と正面から言い切っています。この朝ドラが「一緒にいる時間が今は楽しい、そんなふうに最後は思ってもらえたら嬉しいですし、やっぱり変なヤツだったし好きにはなれないけど、まあ、あの人の人生だしそれはそれでいいや、みたいに思ってもらえても、それもありがたいと思います」。
もし課題があるとすれば、例えば未知が百音に進路や生き方について「私どうしたらいいの?」と聞くシーン。このドラマは人生の最も重要な課題について人に聞くというシーンがたびたび出てきました。不安や悩みを誰かと共有することを「よし」とする傾向が強かった。
しかし、当初は未知もそんなキャラではなかったはず。もっと積極的で取り組むテーマがあり前向きだったのに、いつの間にか恋愛依存、他者依存となり、祖母を置いて先に逃げたことが強烈なトラウマとなっていることが明かされました。
最終週には「あなたは悪くない」と百音が何度も何度も語ることで未知が安心するという構図が示されましたが、これからもずっと依存的な関係が続くのでしょうか。