浮気、DV、お金などさまざまな問題を抱えたダメ男(だめんず)と付き合った女性たちの実体験をもとにしたヒットコミック『だめんず・うぉ~か~』(扶桑社)。2002年に飯島愛さん、2006年には藤原紀香と山田優主演でドラマ化され、昨年も舞台化されたほどの人気コミックである。その作者であり、「だめんず」という言葉の生みの親でもある倉田真由美さん(50歳)。この10月下旬から、キャリア初となるインターネット上での連載で、これもまた自身初となる「本格ミステリー漫画」に挑戦しているという。
倉田さんは実は、40代半ばを過ぎてからほとんど漫画を描いていなかったという。「漫画を描かない漫画家」となってしまったきっかけは、大ヒット作品を生み出したクリエイターならではの苦しみだった。
「だめんずの終了後、女性セブン誌上で『もんぺ町 ヨメトメうぉ~ず』(もんぺ町という架空の町を舞台に嫁姑問題などをテーマにしたギャグ漫画)を連載したんです。この漫画は私の描いた作品のなかでも相当自信があった作品でした。正直、だめんずよりも時間をかけて、じっくりストーリーも練り上げました。ただ、雑誌内では高く評価してもらえたけれど、世間からの反応があまりなかった。それでガックリしちゃったんです」(倉田さん。以下同)
いまも変わらず自信作だという作品が、連載当時に広く認められなかったことだけではない。ギャグ漫画制作の難しさを味わったことや、創作活動に向かう原動力が自身の生活のなかに見いだせなくなったこと──それらの“壁”が重なった。
「もんぺ町の終了後は、しばらく漫画を描かなかったんです。その間も、“漫画を描きませんか”というお話をいただいていたのですが、なかなか気持ちが入っていかなかった。
このまま制作を続けても、だめんずやこれまでの作品の“縮小再生産”版になってしまう気がしたんです。かといって、エッセー物に路線変更をしても、私に描けるものは何もないなと……。だめんず連載時が一番そうでしたが、“嫌な思いをした過去の自分が許せない”という強い気持ちが、創作の原動力になっていました。私自身、そういう強烈な動機がある作品のほうが、読者をひきつける勢いがあると感じていました。
でも、40代半ばを過ぎて、なんとなくまったり暮らしてしまっていたことで、創作の熱量を燃やすエネルギーになるようなものがないと苦しんでいたんです」
倉田さんはテレビやラジオのコメンテーターとして“引っ張りだこ”と言っていいほどの活躍をしていたが、漫画を描かずに暮らしていたことはうしろめたく、精神的に重い負担になっていたという。
「漫画をどうしても描かなくても、なんとなく食うには困らずにいられたので、サボっていたんですね。テレビの情報番組で『漫画家の倉田さん』と紹介されても、私は漫画を描いていなかった。その間の居心地の悪さは言いようのないものです。“何とかしなきゃ”と悩むのですが、でも書きたいものはないし……」