2年連続最下位、6年連続Bクラスだったオリックス・バファローズが、まるで別のチームのように復活し、パ・リーグのペナントを制した。猛牛軍団を率いた中嶋聡・監督は、25年前にさかのぼる前回優勝の際には正捕手として活躍した。いわゆる「仰木マジック」で鳴らした仰木彬・監督の下、イチローや田口壮などスター集団の扇の要だった。
中嶋氏は現役時代は強肩・強打で知られ、一軍実働29年は、やはり後に名将となる工藤公康と並ぶプロ野球記録だ。しかし、失礼ながら現役時代は大選手、大スターという評価が定まっていたとは言い難く、どちらかというと地味な選手だったと評する関係者も少なくない。コーチ経験も豊富だが、監督就任の経緯は、昨シーズン途中に西村徳文・監督が成績不振を理由に辞任した後任として、二軍監督だった中嶋氏が代行を務めたというイレギュラーなものだった。
眼光鋭く、ニックネームは「サメ」。傍目にはちょっと怖いイメージもある中嶋氏だが、実は選手には優しく、本人はお茶目な一面もあるのだという。ドラフト同期だった藤井康雄氏が語る。
「僕は社会人で6年やってたので、阪急に入ったのは同期ですが、サメより6学年上なんです。なんでサメなのか? それはですね、同じ捕手だった中日の中村武志の目がサメに似ていて、星野仙一・監督たちがサメと呼んでいたんですが、中嶋はその中村に顔がよく似ていたんですよ。それでチーム内で中嶋もサメと呼ばれるようになった。今は優勝監督ですから、本人にはそうは呼べませんけどね(笑)」
ちなみに、中村氏がサメと呼ばれたというのは別の説もある。先輩にくっついて回ることが多かったために、星野氏が「コバンザメ」とネーミングしたという説だ。いずれにしても、中嶋氏の「サメ」は、もともとそんなに怖いイメージで付けられたわけではないらしい。
「高校からプロ入りしたサメですが、最初から肩の強さはプロ並みで、そこに期待した上田利治・監督が早くから一軍の試合に出したんです。でもね、どちらかというと勉強熱心なタイプじゃなくて、ちゃらんぽらんなところがありましたね。プライベートでは酒豪で、一軍の主力になってからも、酒の匂いをプンプンさせて試合前の練習に現れることもありました。それでもやっていけたのは、おおらかな性格でみんなから慕われるタイプだったからでしょう。ニックネームが付いたのもそういう表われだし、先輩にはうまくくっついていって、後輩の面倒見はいい。愛されるキャラクターでしたね」(藤井氏)
イチローを育てた仰木氏は、選手の自主性を重んじる放任主義や、猫の目のように変わるオーダーがズバズバ決まって「マジック」と称賛されたが、実はデータに基づく緻密な戦略が真骨頂で、選手に対しても場合によっては鉄拳制裁も辞さない厳しさがあったという。藤井氏は、仰木氏と中嶋氏の共通点と違いについて、こんな見方をしている。
「監督になって、サメは選手に対して『任せているよ』と声をかけていたようですね。ゲームで使う以上は信頼するし、勝敗については監督の責任だから選手は怒らない。たとえミスがあっても『使っているオレが悪い』というスタンスだったそうです。そのへんは仰木野球そのものですね。仰木監督は怖かったという選手もいますが、それは相手によって対応をいろいろ変えていて、これはと思う選手には特に厳しかったからでしょう。