1987年の騎手デビューから34年間でJRA重賞はGI26勝を含む129勝。2001年に全国リーディングを獲得するなど通算2541勝、海外・地方を合わせて2598勝の歴代4位。フジヤマケンザンで日本馬初の海外重賞勝利、エルコンドルパサーのフランス凱旋門賞2着など海外でも活躍した名手・蛯名正義氏が、2022年3月に52歳の新人調教師として再スタートする。蛯名氏による週刊ポスト連載『エビジョー厩舎』から、今回は3度目の正直で合格できた調教師試験の厳しさについてお届けする。
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ジョッキーをやめて調教師になるということはあまり考えていなかったんです。やはりカッコいいし、自分が一番やりたかった仕事です。「何歳になったらやめよう」などと思っていたら、できない仕事です。
同期の武豊騎手だけではなく、年上の柴田善臣さんや横山典弘さんも頑張っています。幸い大きなケガもなかったし、僕の場合は体質的に減量で苦しむということもなかった。
45歳の時にも年間100勝できたし、リーディングでも上位にいました。47歳になった年もディーマジェスティで皐月賞、マリアライトで宝塚記念とGIを2つも勝たせてもらったし、3歳クラシックすべてで騎乗依頼をいただいていました。年間で700回以上乗っていたけれど、まだまだエネルギーも残っていたので、ジョッキーのままで終わろうかと思っていました。
ずっとお世話になっていた馬主さんから、やってみたらどうだと背中を押されたのがきっかけです。やはり70歳まで乗ることはできないわけで、でも好きな競馬には関わっていたい。それで、自分がせっかくこんな経験をさせていただいたのだから、それをずっと活かせる場所というと調教師しかないなと。
もしやるのならジョッキーとしてギリギリまでやってボロボロになってから目指すというのは、調教師という仕事に対して失礼だし、調教師になるのが遅くなると、定年(70歳)までが短くなってしまうので、軌道に乗ったところでやめなければいけない。ならば早いうちに切り替えなければと一念発起。49歳の時から騎乗数を減らして、調教師試験の勉強を始めることにしました。
ところがこの「勉強」ってやつが、思っていた以上に大変でした(笑)。
昔は1000勝したジョッキーが調教師になろうとすると1次の筆記試験が免除されて、2次の口頭試問(これはこれでとても難関です)だけでよかった。いまは2000以上勝っていても、まったく優遇措置がない。