神奈川県横浜市の高台に、広大な霊園がある。その一角、ひときわ大きな墓所が集まる区画に、4月3日に亡くなった田村正和さん(享年77)が眠っている。
8月上旬、田村さんの墓前に腰をおろし、故人と語らう1人の男性がいた。田村さんの兄・登司麿(としま)さん(83才)だ。時間にして約1時間、どんな言葉が交わされたのだろうか──。
登司麿さんが語りかけた墓は、田村さんのこだわりがつまった墓だ。田村さんは1988年に、「生前墓」としてこの墓所を購入している。しかし、四十九日を過ぎても墓石が建つことはなかった。墓石が建ったのは、登司麿さんが訪れた数日前のことだった。
「田村さんの名前が刻まれた墓石は高さ90cmほどで、五輪塔の横に建てられています。田村さんの墓所の敷地は広いのですが、その片隅にポツンとたたずむお墓は、少しさみしいような気がしました。でも、これは『墓相学』に基づいてつくられているそうなんです」(田村家の知人)
墓相学とは、墓石の向きや形、配置のバランスなどから運気を呼び込むことができるという考え方だ。
「この霊園には専属の墓コーディネーターがおり、大半の人はそのコーディネーターのアドバイスをもとに墓を建てているのですが、田村さんは生前から外部のコーディネーターに相談していました。それだけ強いこだわりがあったのでしょう。
墓石には田村さんの名前の隣に、存命と建立者を意味する赤文字で、奥さんの名前も刻まれています」(霊園の関係者)
コロナ禍もあり、田村さんの葬儀はごく少数の家族だけで行われ、登司麿さんは参列できなかった。「ちゃんとお別れができなかった」という思いを抱えていた登司麿さんは「早く会いたい」という思いが強まり、そろそろお墓ができたかなというタイミングで訪れてみたのだという。
早く会いたい理由は、ほかにもあった。