昭和の大投手・江夏豊は、今でも昭和46(1971)年に王貞治から打たれた逆転ホームランが忘れられないという。あれから半世紀。「宿命のライバル対決」を、江夏本人が振り返った。【前後編の前編】
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ラジオをぶっ潰した
常に熱気を感じていたよ。真剣勝負を戦う男のね。
昭和42(1967)年に入団して18年間現役生活を続けたけど、時代時代にいろんな好打者がたくさんいた。あらためて自分の現役生活を振り返ってみて、最高、最強の強打者って聞かれれば、やっぱり、王(貞治)さん。全盛期に勝負ができたっていうのは、ほんとにピッチャー冥利に尽きると思う。
王さんとは年齢で8つも違うんだけど、自分が王さんとライバル関係に入り込んだのは、やっぱり長嶋(茂雄)―村山(実)の対決があったから。自分もあんな対決をしたいと思わせてくれたライバルは、王さんしかいなかったね。
まだ868本の世界の王じゃなくて、「日本の王」、「巨人の王」という時代やったからね。そういうときに、村山さんから「おれのライバルは長嶋だから、豊、おまえは王だ」と言ってもらえたことも糧になった。
王さんとの初対決は三球三振だった。正直、何で打てないんだろうって思ったよ。
急遽、巨人戦で先発の村山さんがトラブルで3回から登板し、ミスターとの初打席は凡打。だけど、次の打席で打たれて、ミスターがセカンドベースに滑り込んだとき、ピッチャーのほうも見ずに知らん顔で、ユニフォームをはたいてるわけ。それをマウンド上から見て「かっこいいな、これが長嶋茂雄か」と。
そう思ったら駄目よ。そこから長嶋ファンになってしまった。ミスターと勝負して抑えても嬉しくないし、打たれても腹が立たない。これがミスターの特徴かもしれないけど、そういう方やったよ。
王さんは、目ん玉をむき出して向かってきて振っても振っても当たらない。打たれたミスターが凄いバッターで、打てなかった王さんがそうでもないってことではない。凄いバッターっていうのは、空振りの三振に打ち取ってもスイングの凄さが伝わってくる。案の定、王さんには次の試合で打たれた。
昭和40年代のはじめのころの野球ファンの気質も、今とはまったく違う。昔の長嶋ファンは、極端な話、巨人が負けたって長嶋さえ打てばいいんだから。おれの人生は長嶋茂雄なんだっていうファンの方がたくさんいたわけ。
それくらい、寝食を忘れるくらい熱中してくれていた。今、そんなことを言うファンの人っていないでしょ。