〈歌詞は財津の経験をモチーフにした。上京を決意した時、1歳年下の恋人がいたが、既に就職していたその女性を東京に呼ぶことはしなかった。
「どうしてもバンドをやりたかったから。でもしばらくして別れの事実にジーンときた。クサい歌詞は恥ずかしかったけど、周りは『いい』って言ってくれてね」〉
『心の旅』は多くの若者、特に地方出身者の心を捉えた。『世代論の教科書』などの著書がある「未来ビジョン研究所」所長の阪本節郎さんはこう語る。
「1970年代前半は大学進学率が急上昇し、東京に一極集中化した時代です。多くの男子学生が地方から上京して進学や就職する一方、女性の大半は地元に残った。そのため恋人たちは離ればなれになり、遠距離恋愛をせざるを得なかったという時代背景があります」
地元になかなか帰郷できず、電話しようにも結構なお金がかかる。そうこうするうちに、目移りする。そんな男子学生が多かった。
「私は地方出身者の多い大学に通っていたので、周りには遠距離恋愛をしている友人が多くいました。あの頃は東京・地方間で連絡がとりにくかった。アパートには電話が1つしかなく、頻繁に使っていたら大家が取りついでくれなくなったと、友人は怒っていました(笑い)。仕方なく公衆電話からかけると百円玉が次々と落ちていく。苦肉の策で電話のベルを3回鳴らして合図をして。それで気持ちを伝えたりね」(阪本さん・以下同)
声が聞きたい──そんなささやかな願いも容易にはかなわなかった。
「ふたりの関係をこのまま維持できるのか……常に不安を感じている若者の胸に『心の旅』が響いたのです」
当時の恋愛や結婚事情をひもとくと、1970年を前に見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転していることがわかる。
「1971年に、はしだのりひことクライマックスの『花嫁』、1972年に吉田拓郎の『結婚しようよ』、1973年にチェリッシュの『てんとう虫のサンバ』が流行りました。それらは、親に認められるのではなく、仲間に祝福されて結婚する歌。特に『花嫁』は駆け落ちを素敵に明るく描いている曲です。恋愛結婚を賛美する曲がヒットし、自由な恋愛を享受する空気感が広まっていきました」
音楽は世代と結びついているものだと阪本さんは言う。
「世代や時代に音楽は大きな影響を与えています。曲とともに社会が転換していく。1970年代半ばから遠距離恋愛をする若者が増え、ポップス歌謡という新しいスタイルも生まれた。やはり『心の旅』は非常に革新的な曲だったと思います」(阪本さん)