【著者インタビュー】早見和真氏/『笑うマトリョーシカ』/文藝春秋/1870円
〈ずっと得体が知れないと思っていた〉〈正体を見極めたいと担ぎ上げた生徒会長選だったのに、いま壇上に立つ清家の姿を目の当たりにして、私はさらに混乱する〉〈そもそも本性が存在しないというか、どうしようもなく空っぽに見えて仕方がない〉〈清家はあまりにも完璧だった。完璧に仮面をかぶり続けた〉──。
人が人に見せる顏や内面と外面の関係性。はたまた本当の自分といった文言の危うさを問う舞台として、早見和真氏が『笑うマトリョーシカ』で選んだのが、他でもない、政治の世界だ。
主人公は40代で官房長官に登りつめた愛媛県出身の民和党代議士〈清家一郎〉。物語は松山市内の名門男子校〈福音学園〉で彼が後の秘書〈鈴木俊哉〉と出会う高校時代に始まり、政治家志望の一郎を俊哉が支え、夢を実現するまでが、主に俊哉の視点で語られてゆく。
尤も政治の世界は〈友情と裏切りの二重奏〉。一郎の本心は参謀役の俊哉にすら掴めず、時にそれは空虚な〈がらんどう〉を思わせた。だとすれば剥いでも現れる仮面の中心には誰がいて、最後に笑うのは誰なのか? なるほどこれは震撼必至の、「僕史上、最も突拍子もない小説」かもしれない。
「確かにこれを青春小説やミステリーとして読む人もいると思う。でも僕自身は『今回は人間を書こう』とそれだけを考えていたし、政治小説に分類されたらショックなくらいです。
僕は元々、よく人は人を一方的に決めつけ断罪するけれど、どれだけ本当のことが見えているのかってことを書いてきた気もする。高校球児は爽やかなだけなのかとか(『ひゃくはち』)、周囲から幸せに見える家族は本当に幸せかとか(『ぼくたちの家族』)。そのひとつの到達点が、凶悪犯は本当に悪かを突き詰めた『イノセント・デイズ』で、この主題をもっと人間存在そのものの謎にまで深めて描けないかと考えたんです」
その舞台を模索する中で、ある若手議員と親しくなり、定期的に食事をする仲に。
「彼は話の嗅覚が抜群によく、僕の持論をしきりに聞きたがるんですね。するとある時、彼が会見で僕の話した持論を彼の言葉として話しているのを見たんです。別に嫌な気はしなかったし、むしろ会う人間全てをブレーンとして捉え、吸収すべきは吸収する貪欲さは、信用できる気がしました。
以来、彼の背景に沢山の顔が浮かぶようになった。そして、仮に中身が空っぽだとして何が悪いのか、だから何でも吸収できるんじゃないかと考えてみたんです。これはそんな突拍子もない仮説から生まれた物語で、あえて分類するならジャンルは〈見くびるな〉。そういう小説なんです」