今年で50周年を迎える日活ロマンポルノ。俳優・風間杜夫はかつて女子高生も熱狂させた常連俳優だった。風間が「青春時代」を振り返る。【前後編の前編】
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1971年、22歳で仲間と劇団を立ち上げ、宣材写真をいろいろな所に配っていたら、翌1972年にロマンポルノから声が掛かったんです。『艶説女侠伝 お万乱れ肌』(監督/藤井克彦、主演/サリー・メイ)という作品です。「ロマンとついているけどポルノだしなあ」と思いましたが、濡れ場のない役だったのでやってみました。子役時代に東映に出ていたので、久し振りに映画の現場を楽しめましたね。
ちなみに、その作品での役名が「風間良吉」で、日活の事務スタッフの人が北杜夫さんのファン。それで「芸名は風間杜夫でどう?」と提案され、以来“風間杜夫”なんです。
1本出たら次から次へとオファーがきて、結局1979年までに16本に出演しました。特に1973年は9本です。
2本目に撮影した『昼下りの情事 古都曼陀羅』(監督/小沼勝、主演/山科ゆり)で初めて濡れ場を体験しました。京都が舞台の文芸の香り漂う作品で、有名な神社やお寺の境内で許可も取らずにゲリラ的に撮影しました。大量の石塔がある所や墓場でも山科さんと絡みましたよ。
どの作品もアフレコなので、濡れ場の撮影では監督がカメラを覗きながら「次、右のオッパイ吸って……はい、下がって太股を上げて」と指示します。映倫規制がまだ厳しい時代で、「両脚を開いた股の間に体が入る構図はダメ」、「前貼りが見えないように腰をもうちょっとこっちに向けろ」と指示され、僕らはその通りに体を動かす。映画になると濡れ場ですけど、現場は体操です(笑)。
息遣いでお客さんを興奮させるためアフレコでは男も大袈裟に声を出します。ハア、ハアと息を吐き続けるのでよく酸欠状態になり、目眩がしましたよ(笑)。