俳優・風間杜夫は、今年50周年を迎える日活ロマンポルノの常連俳優だった。仲間と劇団を立ち上げた翌年の1972年に初出演、以来1979年までに16本に出演した。風間が振り返る。【前後編の後編】
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同じロマンポルノでも作品の質はさまざまですが、僕は作品に恵まれたと思います。特に田中登さんが監督した『昼下りの情事 変身』(主演/青山美代子)『真夜中の妖精』(主演/山科ゆり)『女教師 私生活』は、後に田中さんが「風間の代表作は深作欣二さんの撮った『蒲田行進曲』ではなく、この3本」と言ったくらいです。
僕の役柄はどの作品でも、内面に鬱屈した感情を秘めたナイーブな若者で、全共闘が挫折したあとの若者の心情を反映していました。僕自身、20代はとても内向的で人と話すのが苦手。現場では女優さんと話もせず、昼休みは控え室に籠もっていました。田中さんの撮った3部作は僕にとって青春映画なんです。
後にテレビドラマ『スチュワーデス物語』(1983年)の教官役で僕が若い女性に人気になると、池袋の文芸坐(現・新文芸坐)が「風間杜夫主演3部作」と銘打って一挙上映し、女子高生が殺到したそうです。支配人の才覚です(笑)。
『女教師 私生活』を撮るとき、田中さんが役者全員に「この作品で沖縄と本土の関係を描く」と意気込みを語りました。その関係の象徴として、僕が演じる沖縄から来た青年は兄嫁である本土の女性に陵辱されるわけです。記憶にある監督はみんな、ポルノを撮りながら、そこに社会的なテーマを込めていましたね。
でも、映画を観て興奮したい、思い出して一発抜きたいと思っているお客さんはそれで満足するかな? と危惧があったので、『女教師 私生活』を映画館で観てみました。案の定、観念的な映像が続くと客席から舌打ちが漏れました。田中さんの作品は耽美的で、インテリや学生には高く評価されていましたけれど。
1973年にたくさん出て、色もついちゃったし、そろそろ卒業かなと思っていました。そうしたら、NHKのディレクターのなかにロマンポルノ好きがたくさんいて、風間杜夫を観てくれていたんです。それで1974年の大河ドラマ『勝海舟』に声が掛かりました。