11月初旬、香港で映画『梅艷芳』が公開され、現地では近藤真彦(57)が話題になっている。
同作品は1980年〜1990年代にかけて活躍した香港トップスター、アニタ・ムイ(梅艷芳)の自伝的映画だ。アニタは2003年に子宮頸がんで40歳の若さで亡くなっているが、彼女が香港芸能史に残した功績はあまりにも大きい。香港在住ジャーナリストが語る。
「映画では彼女が香港で大スターになっていく様子が描かれています。アニタが当時、活躍していたころの香港の芸能界はいわば黄金期。今は亡きレスリー・チャンにはじまり、レオン・ライやジャッキー・チュンにトニー・レオンなど、当時の香港からは多くのスターが生まれています。そういったなかで女優でありトップ歌手でもあったアニタさんは、時代を象徴するような作品に出演し、多くの名曲を歌ってきました。日本でいえば美空ひばりさんや山口百恵さんのような存在でしょう。
分断されつつある現在の香港を生きる人たちにとってはどこか懐かしくて“一体感”を感じうる、そんな物語になっているのではないでしょうか」
では、アニタの自伝的映画と近藤にどんな関係があるというのだろうか。「彼女の人生は近藤真彦なしには語れないところがあるのです」というのは前出のジャーナリスト。
「かつて近藤さんとアニタさんは恋仲にありました。今回、映画の登場人物はほとんどが実在の人物名を使っていますが、さすがに近藤真彦という名前だけは使用されていません(笑)。しかし、アニタさんと恋に落ちる『後藤夕輝』という役名の日本人歌手が登場しており、彼が近藤さんのモデルだとされています。日本人の俳優さん(*国木田独歩の玄孫でもある中島歩)がキャスティングされていることにも大きな意図を感じますね」
複数の香港メディアによると、ふたりが知り合ったのは1985年ごろだという。当時の近藤は日本だけではなく中華圏でも絶大な人気を誇り、1984年から3年連続で香港でのコンサートを開催している。そんななか出会った男女の距離は急激に縮まっていく。
「アニタさんの恋心は相当なもので、近藤さんに会うために1年間で7回も日本に訪れたといいます。さらに近づくために、彼女は日本に不動産を購入していたことも伝えられています。一方の近藤さんはアニタさんを北海道でのコンサートに同行させ、別の機会にはダイヤモンドのブローチを送ったこともあるそうです。しかし、そんな関係も長くは続かなかったようです……」(同前)
のちにアニタの親友が現地メディアの取材に答えたところによると、破局の原因は近藤の“二股”にあったのだという。