性に目覚める時期は人によってそれぞれ。しかも昭和時代は学校でろくに性教育が行われず、“実践”で学んだという人も多いのかもしれない。昭和29年生まれの石田純一氏(67才)もそんな“実践派”だという。プレイボーイとして知られる石田が、自身の体験を明かす。
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驚かれるかもしれませんが、私が初めて精通したのは、小学3年生なんです(笑)。休み時間に校庭にある登り棒で頂上まで上がって降りようかって時に、「ああーなんだか気持ち良い~」みたいな何とも言えない感覚が、股間に走りました。その後、チャイムが鳴ったので、「急いで教室に戻らないと」と思ったんですけど、パンツが濡れているから気持ち悪いし、もの凄く走りにくかったのを鮮明に覚えています。
そんな私に欲情を感じさせてくれるきっかけとなったのが、家にあったフェデリコ・フェリーニの映画関連本に掲載されていた官能的な女性の写真ですね。あれを見て欲情と恋心は別であることを知覚し、それから、具体的な行為の仕方についても段々と学んでいきました。
その頃、部屋にこもっていたりすると、夕ご飯の時に母親が「純一が最近変なことをしているのよ。パパからも叱ってやって」と言ってくるので、もの凄く恥ずかしかった記憶がありますね(笑)。
ただ、女性に対しては奥手でした。初恋の人と高校1年生から2年生の夏まで付き合っていたんですが、キス以上のことはしなかった。この子とは結婚するんだし、早くに経験してしまってはお互い飽きてしまうと思っていたんです。しかし、それが結果として裏目に出てしまい、別れる時に理由を懇々とこう説明されました。「私は結ばれる時を待っていた」と。
その苦い思い出があったから、大学生以降は女性に手を出すのが早くなってしまった(笑)。だからと言って、避妊もせずにやるとかそういうことは決してなく、きちんとマナーは守っていましたよ。