1987年の騎手デビューから通算2541勝を記録するなど、国内外で活躍した名手・蛯名正義氏が、2022年3月に“52歳の新人調教師”として再スタートする。蛯名氏による週刊ポスト連載『エビジョー厩舎』から、今回は競馬学校入学から騎手デビューまでの思い出についてお届けする。
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今週からはしばらく僕の昔話にお付き合いください。ご一緒に名馬の走りを思い出していただければ幸いです。
僕は札幌で生まれ育ちましたが「蛯名」というのは青森に多い名前です。1940年から1950年頃に活躍した蛯名武五郎という名騎手も青森の出身でした。ジョッキーになりたかったという祖父は、武五郎さんと「一緒に馬に乗っていた」と言ってました。また「白い逃亡者」と言われたホワイトフォンテンで毎日王冠を勝った蛯名信広騎手(その後調教師)は、祖父の甥にあたります。
でもウチは競馬一家ということでは全然ありませんでした。父が競馬好きで馬券を買っているぐらい。僕もその影響からか、よく見ていて、いわゆる競馬オタクの子供でした。
競馬学校の同期は9人ですが、調教師になったのは僕が最初で、おそらく最後です。武豊騎手とはずっとよく会っていたし、3人は調教助手になって競馬サークルに残っています。この世界から離れてしまった人が、どこで何をやっているかはよく分からないけれど、当時はみな仲が良かった。3年間一緒に生活をしたわけですから。
卒業後は矢野進先生の厩舎にお世話になることになりました。リーディングもとっている名門厩舎で、中山大障害を5回(当時は春と秋にあった)も勝ったバローネターフや、スクラムダイナ、ダイナシュートなど「ダイナ」がつく社台ファームの活躍馬が何頭もいました。
競馬学校2年の秋から厩舎研修が始まったのですが、行った日がまず函館3歳(現2歳)ステークスを勝ったダイナアクトレスのスタッフが戻ってきた「安着祝い」でした。北海道滞在から帰ってきた馬を見て「これがダイナアクトレスなんだ」と感動したのを覚えています。
で、その週末が伝統ある大レース天皇賞(秋)。デビューから8連勝で菊花賞を勝って三冠馬になったシンボリルドルフの独壇場になるはずのレースでした。