日本ハムの新監督として注目を集める新庄剛志氏。現役時代にブレイクしたのは、1985年に日本一に輝いた後、低迷期に入っていた阪神が最終戦直前まで優勝争いを続けるという快進撃を見せた1992年のことだった。この年に、センターを守る新庄氏と「鉄壁の右中間」のコンビを組んだのが亀山努氏だ。新庄氏とともに甲子園球場に「亀新フィーバー」を巻き起こした亀山氏は、新庄氏がどういうチームをつくっていくか、期待を持って見守っている。
「亀新」が阪神ファンを熱狂させた1992年は、ちょうど甲子園球場からラッキーゾーンが撤廃された年だった。亀山氏が振り返る。
「当時はまだ岡田(彰布)さん、真弓(明信)さん、平田(勝男)さん、木戸(克彦)さんといった85年優勝組が健在で、タイガースは客が呼べる人気選手がスタメンからなかなか外れないので、高い壁だと思っていました。ただ、たまたまラッキーゾーンを撤去されて球場が広くなったことで、外野が守れて足のある選手が重用される流れができて、そこに乗っていくことができた。
とはいえライトは真弓さんのポジションだったので、最初の頃は守っていても“なんで亀やねん。真弓を出さんかい!”とヤジが飛んでいました。怖くて深く守れなかった(苦笑)。真弓さんの代わりにプレーしている以上は、それに足る全力プレーをするしかなかった。真弓さんに勝るのは守備範囲だと思っていたので、ファールフライでもフェンスに激突していきました」
そうした厳しい競争を勝ち抜いて、亀山氏も新庄氏も定位置を勝ち取った。ともに戦った記憶のある亀山氏は、新庄氏のチーム作りについて、「来年の日本ハムの試合では“守備のこだわり”が出ると思うんです」と期待している。
「新庄は現役時代、“目指せ、東京ドームのフェンスの一番上まで!”とやっていましたね。フェンスによじ登ってホームランボールをキャッチするのが外野手としての最高のパフォーマンスだというわけです。東京ドームはフェンスが高いので、僕も含めて一番高いところにどうすれば上れるのかを追求していましたよ。これまでは飯田(哲也=ヤクルト)さんが一番惜しかった。それを超えようとやっていた。守りでは楽しみながらポジショニングとかをいつも考えてやっていましたね。その新庄が、自分のチームでどんな守備をつくりあげるのかには注目したいです」
2021年シーズンの開幕戦で外野手のスタメンだった西川遥輝や大田泰示がチームを去り、広い札幌ドームの外野を誰が、どう守ることになるのか、注目を集めることになりそうだ。