もしも妻に先立たれたら──そんな仮定で人生を考えたことがない男性も多いのではないだろうか。ただ、経験者の話を聞くと、長い人生のなかで“その時”に備えておくことが重要だとわかってくる。どのように悲しみを乗り越えていったのか、元衆議院議員・津島雄二氏(91)に聞く。
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元衆議院議員で厚生大臣を務めた津島雄二氏(91)は、2020年4月に妻の園子さん(享年78)を亡くした。作家・太宰治の長女である園子さんの実家、津島家へ婿入りし、旧大蔵省から政界へ進出。
夫人の地元である青森1区を選挙区とし、応援演説や講演会など、夫婦一体で代議士人生を歩んできた。津島氏は園子さんとの思い出をこう語る。
「代議士の妻として僕の代わりに出ていかなくてはならないことも多くて、忙しい人生だったと思いますよ。大臣を数回やったけど、大臣時代は地元にあんまり帰ることができなかった。その時には僕の代わりに色々と回ってくれたりね。本当にお世話になりました」
津島氏は、1964年に園子さんと結婚。1974年に大蔵省を退官し、その後夫人の実家がある青森県に居を移した。
「僕の伯父で参議院議員だった文治さん(太宰治の兄、津島文治)から『お前、そろそろ俺の後を継がないか』と言われました。文治さんの長男(俳優の津島康一)は、親の期待通りに政治家になって後を継ぐ人ではなく、そういうなかで僕が大蔵省を辞めて政治の道に入った。僕は家内の実家で居候みたいなかたちで住んでいたんですが、家内の母親は別宅に住んでいて子供の面倒をみてくれたり、恵まれた環境でした。僕としては、自然にそういった状況を受け入れていました。でも家内は太宰の娘だし、常に“裃を着る”ような状態で、家内には申し訳ない気持ちがありましたね」(津島氏)
縁のない土地から選挙に出て政治家になることに「地元の人たちからは誰も文句が出なかった」という津島氏。その陰には園子夫人の「内助の功」があったという。津島氏より10歳以上も歳下の園子さんだが、「政治活動だけでなく息子の子育てから家事全般まで、家内のおかげで何不自由ない毎日を送ることができた」と津島氏は語る。