1980年4月、それまでになかった斬新な笑いのオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)が始まった。出場はプロ・アマ問わず、漫才、コント、漫談、手品、モノマネ……とジャンルも不問。数多くの芸人や俳優が羽ばたいた番組の伝説を関係者が振り返る。
とんねるず、コロッケ、ウッチャンナンチャン……。1980年4月開始の『お笑いスター誕生!!』は従来のオーディション番組の慣習を打ち破り、人気芸人を続々と生み出した。総合演出を務めた制作会社「日企」の赤尾健一氏が話す。
「面白いのに売れていないプロ、才能があるのにチャンスのないアマチュアをスターダムに押し上げたかった。数年前から『全日本学生お笑い選手権』などの特番を作り、若い芸人さんの情報をストックしていました」(以下、赤尾氏)
過去の類似番組は、面白くないとネタの途中で緞帳を下げていたが、『お笑いスタ誕』はネタを止めず、持ち時間は芸人の特色に合わせて変えた。10週勝ち抜きという高いハードルを設定し、不合格となれば2か月は出場できない。出演前のネタ見せを審査した赤尾氏は笑いへの敬意と愛情を持つゆえ、志願者に厳しく接した。
「私を怖がっていた芸人さんもいたそうです(笑)。でも、修羅場を経験しないと本物になれない。昔はストリップ劇場で『引っ込め!』とヤジられながら、芸を磨いていった。『道場』が必要だと感じていました」
B&Bが初代グランプリに輝いた7月5日に視聴率11.2%を記録。その後も数字は上昇し、漫才ブームの火付け役に。土曜の昼12時台という放送時間帯もヒットの要因になった。
「水商売の女性がテレビを観る時間帯。お客さんに話してくれれば人気が広がると考えたんです。狙いは当たりました」