もしも妻に先立たれたら──そんな仮定で人生を考えたことがない人が多いのではないだろうか。ただ、経験者の話を聞くと、長い人生のなかで“その時”に備えておくことが重要だとわかってくる。どのように悲しみを乗り越えていったのか、タレント・ダンカン氏(62)に聞く。
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タレントのダンカン氏(62)の妻・飯塚初美さんは、2014年6月に乳がんのためこの世を去った。告別式で、ダンカン氏は人目を憚ることなく泣きじゃくった。
初美さんの右胸に乳がんが見つかったのは2005年のこと。切除手術を受けたが、3年後に左胸への転移が見つかる。その後、肝臓や脳への転移も判明。闘病を支えたダンカン氏は、2013年頃から2人で一緒の時間を過ごせるように仕事を調整し、温泉旅行に行ったり、思い出の場所を巡ったりした。2014年に新しい抗がん剤治療を始めようとした矢先に、初美さんは亡くなった。
「あの日から、心の空洞が埋まることはありません。ただ、7年という時が過ぎて、“(妻が)いつも側にいてくれると考えて生きていこう”といった気持ちは出てきました。
大きな舞台が入ったり、大事な撮影があったりすると、今でもプレッシャーを感じます。先日も佐渡で映画の撮影があったのですが、そういう時には“ちゃんとやってくるから見ててくれよ。応援してくれよ”と言って家を出るわけです。そういうことが自然に言えるようになりましたね。亡くなってすぐの頃は、自分だけが不幸になったような気がして、そんな気持ちになれなかった」
深い悲しみに暮れたダンカン氏だが、前を向くうえで「子供の存在は大きかった」とも振り返る。
妻の初美さんが亡くなった当時、長女・美つきさんが25歳、長男・甲子園くんが23歳、次男・虎太郎くんは15歳だった。
「それまで子育ては任せっぱなしだったけど、“あとは頼むね”とバトンを渡されたのだから、ちゃんとやるしかない。警察の世話にはならないように、世間並みには育てないといけない。ママリンが傍で見ているんだから、きちんと成長した姿を見せないといけないわけです。
子供たちはみんなお母さんっ子で、とくに一番下の次男は小さい頃から野球に熱心で、ママリンが練習や試合の送り迎えなどの面倒を見ていた。それを引き継ぐわけですが、たとえば泥だらけのユニフォームは、洗剤に浸け置きしてから手洗いしないと汚れが落ちない。最初は、“なんでこんな大変なことを……”と思っていたけど、そのうち“もっとキレイにしてやろう”という気持ちになってくる。ママリンは、“キレイにすれば子供がいいプレーをしてくれる”と思って洗っていたんだろうな、なんて考えるようになる。いなくなって初めて、ママリンの気持ちがわかったことも多いんです」