歌手で女優の神田沙也加さん(享年35)が12月18日、札幌市内のホテルから転落して急逝した。沙也加さんの両親である俳優・神田正輝(70)と歌手・松田聖子(59)は21日に会見を開いた。
遺骨を抱いた神田は、「しばらくの間そっとしておいていただけたら」と頭を下げて、位牌を抱いた聖子は「本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」とマスコミ陣に深々と頭を下げた。
沙也加さんは、ホテルの室内に書き置きを残していた。
「書き置きには悩みだけでなく、周囲のさまざまな人への思いなどが、彼女らしい言葉で書かれていました。沙也加さんにとっては、『手術をして歌えなくなったらどうしよう』という喉の不調への不安に加え、愛犬の死、恋人との確執など、苦悩が重なる時期でした。そんな中でも、人々を笑顔にするために全力でミュージカルに打ち込んでいたのです」(芸能リポーター)
愛娘が急逝し、聖子は12月19日からのディナーショーを中止。大晦日のNHK紅白歌合戦に予定通り出場するのかも不明だ。聖子はいま「母」として何を思うのだろうか──。
1986年10月1日、沙也加さんが誕生したのは聖子のアイドル絶頂期だった。妊娠・出産後も活動を継続し、「ママドル」と呼ばれた聖子。芸能界のレジェンドである彼女も、沙也加さんの前では“普通の母親”だった。娘にまつわる過去の発言を振り返ろう。まずは沙也加さんが8歳のころに行われたインタビューだ。
〈あ、宿題は毎日必ずやらせてます。1日に3枚くらいプリントがあるんですよ。作文も出ますしね。もし私が見られなくても家族の誰かが見て、ちゃんとチェックしましたってサインして。でも、宿題ってけっこうむずかしいの。小学校の入試のときもそうでしたけど、答えが合ってるかどうか見てても、パッと答えが出ないものもあって。あれえ、って思うけど、そこは親の威厳を保ってね(笑)〉(『JUNON』1994年12月)
カリスマアイドルといえど、この言葉から感じられるのは、どこにでもいるような“お母さん”としての一面だ。
やがて成長した沙也加さんは、思春期を迎える。中学時代は壮絶ないじめも経験し、転校を繰り返した。17歳で華々しい芸能界デビューを飾るも、「親の七光り」と大バッシングを受けた。悩める娘に、母親はそっと寄り添った。
〈子供が小さい時には、おじいちゃん、おばあちゃんで大丈夫でもティーンエイジャーに差し掛かってくると“お母さんでなきゃ”という時期がやってきます。自分は母親なんだと心底自覚させられるタイミングがやってくるんです。そうなったら、何を差し置いても子供のそばにいることが一番大切なんだと思うんですよね〉(『FRaU』2006年7月)
聖子の考える母親像とは、こうだ。