2021年が暮れようとしている。コロナ禍での東京五輪開催という一大イベントをこなした日本ではあるが、事件や事故、災害なども相次ぎ、悲喜こもごものニュースが尽きない1年でもあった。そうしたなか、歴史研究の最前線では今年も重要な発見があった。歴史作家の島崎晋氏が、数多ある日本史上の新発見から3つを厳選して解説する。
* * *
日本は世界屈指の古文書大国である。名家の書庫や古民家の蔵に埋もれたままのもの、所蔵者が価値に気づかないままのものが無数にある。2021年に新たに発見された古文書のなかでは、戦国武将の明智光秀や、光秀を滅ぼした豊臣秀吉に関連するものが目を引いた。(2021年2月まで放送のNHK大河ドラマが、明智光秀が主人公の『麒麟がくる』だったから、関連のありそうな古文書を精査する機運が生じたのかもしれない)
明智光秀は「本能寺」に行っていない?
明智光秀と聞いて誰もが思い浮かべるのは、「本能寺の変」ではないか。
時は16世紀末、全国の半分近くを支配下に収めた織田信長がやがて天下統一を果たし、長らく続いた戦国時代を終結させるのは時間の問題、との空気が各地に広がり始めていた。その矢先に起きたのが、織田軍団にあって一、二を争う有力部将、明智光秀の謀反だった。
1582年6月2日早朝、明智光秀は京・本能寺に滞在中の信長を不意に襲い、自害に追い込んだ。これが世にいう「本能寺の変」である。
これまで、当事者の証言としては、本能寺を脱出した侍女によるものが聞き書きで伝えられるだけで、明智側のものは皆無だった。ところが今年1月、本能寺襲撃に加わった明智の家臣の証言を伝える古文書が、石川県内で見つかったという。『朝日新聞』デジタル版1月3日付〈明智光秀は本能寺に行かなかった? 家臣が実行、古文書に〉と題する記事が伝えた。
同記事によると、話の出どころは、加賀藩前田家に仕える兵学者が、古老らから聞き取った戦国時代のエピソードなどを書き残した自筆の古文書だという。文書の存在自体は前から知られていたが、前田家に直接関係のない部分は読み飛ばされ、今回、富山市郷土博物館の主査学芸員に精査されるまで、本能寺の変に関する部分は世に知られずにきたのである。