大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。初登場歌手にサプライズ枠、トリを務める大物歌手にスポットが当たる一方、多くの歌手が「落選」という挫折を味わってきた。連続出場歌手が見てきた紅白の栄光と影。20回出場した鳥羽一郎(69)が語る。
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歌手デビューは弟の(山川)豊が1年早かったけれど、紅白出場を果たしたのは僕の方が先だった。ただただ夢が叶ったと打ち震えていました。
その後、僕は1988年から6年連続出場しましたが1994年に落選。その年は豊が出場していましたが、僕は出場したけど豊が落選なんて年もあった。落選した方は当然焦るんだけど、うちのお袋は「2人で出たいなんてぜいたく言っちゃあかん」と、慰めてくれましたよ。
1995年から2007年まで再び連続出場することができて通算20回になるけど、紅白という現場は楽屋の賑わいがなんとも楽しい。
色んな人の差し入れで溢れていて、「今日は頑張ろうな、楽しもう」なんて声を掛け合う。
ある年は、さだまさしさんが「鳥羽さん、味噌汁飲まない?」とポットに入れた味噌汁をくれて、あれは五臓六腑に染みて美味しかった。
普段は歌手同士なんて交流しないし、世間話もしないもんだよ。でもあの場では誰もが世間話をして、お互い平気なふりをして、なんとか緊張をほぐし合うような雰囲気があった。西城秀樹さんとも「僕の家と近所ですよね」なんて普段はしないようなプライベートな話をして笑い合ったこともあった。
そうやって緊張感のなかの時間をなんとかやり過ごして、大舞台を終えてドッと脱力して、打ち上げに向かう……という一連の流れが、まさに歌手にとっての仕事納めという感じがしていたね。
最後の出場となった2007年に7回目の「兄弟船」を歌って、翌年に落選した。確かに残念ではありました。一方で、やっぱり新しい曲で出たいという思いが沸き起こった。