毎年大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。NHKのアナウンサーにとっては、とても重要な舞台の一つである。元NHKアナウンサーの宮本隆治さんが、紅白の舞台裏を明かす。
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NHKのアナウンサーには紅白の司会を目標にしている人が多く、私もそのひとりでした。もともと芸能志望でしたが、1973年に入局してから22年間、芸能とは無縁だった私が、1995(平成7)年に、初めて『歌謡コンサート』の司会に抜擢され、福岡から上京してすぐの担当でしたが、「なんとかなる」と思ってたんです。この番組は生放送で、NHKホール(3601席)のお客さんの前にひとりたたずみ、カメラを通じて全国の皆さんが見ていることに、本番になって初めて気がつき、のどは渇くわ、足は震えるわ……。その番組がいまの『うたコン』ですが、なぜ生で『うたコン』をやるかというと、12月31日の紅白も生放送ゆえ、魔物に襲われないように、すべてのスタッフが“刀を研いでいる”わけです。
紅白は12月25日に台本ができ、3日間で覚え、29日の朝8時から30、31日とリハーサル。31日は午後3時に全員が集まって顔合わせをし、歌手のスケジュールに合わせてパートごとのリハを行います。たとえば小林幸子さんの衣装セットを出し入れする時間が重要なのに、やってみないとわからない不安が常につきまとう。私の紅白の思い出の中で特に印象深い出来事は3つあります。
1つめは、1999年の第50回。白組司会の故・中村勘九郎さんから「西城秀樹さんの曲『バイラモス』を『バイアグラ』と言ったらどうしよう」と相談され、無事乗り切った思い出。
2つめは、2003年の第54回で小林幸子さんの巨大衣装が電気トラブルで正常に作動しなかったこと。その直後、舞台袖で目撃したのは、コンセントが抜けた装置を囲んでスタッフが腕組みする光景でした。3つめが、初司会を行った1995年の第46回。舞い上がっていた私に平常心を取り戻させてくれた鳥羽一郎さんの思い出です(詳細は下記のベスト3を参照)。紅白を見るたびに思い出し、いい思い出になっています。これからもいろんな歴史を刻んでほしいです。