東京オリンピックの興奮冷めやらぬ1965年、アナウンサーの語り口といえば「~であります」一辺倒だった時代に登場したのが、文化放送『真夜中のリクエストコーナー』の土居まさるだった。「やあ、やあ、やあ」で始まるざっくばらんなトークは、まるで友達に語りかけるようで若者の心をわし掴みにした。
1967年8月にはTBSラジオが『パックインミュージック』を、同年10月にはニッポン放送が『オールナイトニッポン』をスタート、文化放送は1969年6月に『セイ!ヤング』の放送を開始する。1960年代後半に相次いで誕生した3番組は「深夜放送御三家」「三大深夜放送」などと呼ばれ、若者に絶大な支持を得た。
人気の理由は何か。『パックインミュージック』の人気DJのひとりだった桝井論平氏が振り返る。
「ひとつは受験戦争の激化で若者が深夜まで勉強をしていたことです。住宅事情がよくなり彼らにも部屋が与えられ、さらにトランジスタラジオの普及が追い風になったのです」
当時、テレビは一家に1台の時代だったが、勉強部屋にある唯一の娯楽はラジオだった。若者は深夜放送に耳を傾けながら、誰にも言えない悩みを打ち明け、テレビでは知ることのできない新しい音楽に触れた。リスナー間でのみ共有できる、密やかな世界が広がっていたのである。
時代性もあり、自由な気風も漂った。『パックインミュージック』で人気パーソナリティだった故林美雄氏の三男である林皆人氏が当時を述懐する。
「父は家では仕事の話を滅多にしませんでした。母によれば、父は『予算がない代わりに何をやってもいいという環境だった。自分のやりたいことがやれている』と話していたそうです」
深夜放送の中には、日の目を見ない映画や音楽、芸人などを紹介し続けて表舞台に押し上げたり、食糧危機にあえぐ国への支援の陳情を呼びかけ、実際の支援につなげたりした番組もある。「社会」と「自分」が密接につながる感覚が、深夜放送には溢れていた。