9才でデビューし、時代を超える名曲を数多く生み出した昭和の歌姫、美空ひばりさん(享年52)。1989年に国民栄誉賞受賞。1987年に大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎が発覚したが、入退院を繰り返しながらもステージに立ち続けるも、1989年、平成の幕開けとともに永眠した。そんなひばりさんが、晩年に愛していた食事とは。(※文中は敬称略)
母から料理番へ継がれたなじみ深い味を病床でも
自宅の一部を開放した東京・目黒の「美空ひばり記念館」には、ひばりが若い頃から住み込みで働く料理番と付き人が、いまも暮らす。
普段は大勢で囲む賑やかな食卓を好んだひばりだったが、巡業には料理番が作った3色弁当をいつも持参していたという。
「舞台の合間にサッと食べられるよう、弁当箱は11cm角と小ぶり。具材は必ず鮭のほぐし身、牛ひき肉の甘煮、炒り卵でした」と、息子の加藤和也さん。
ふわふわの鮭は、ひばりの生家である鮮魚店『魚増』から取り寄せた鮭を焼いて細かく手でほぐしたもの。卵は加藤家好みの甘めの味付けで、牛ひき肉はしょうゆと砂糖、酒、みりんで甘辛く煮込む。中央にはひばりが好きな梅干しがのる。
当時のままの3色弁当を作ってくれた辻村あさ子さんは、その由来をこう語る。
「お嬢さん(ひばり)と一心同体だった母・喜美枝さんのアイデアと味を受け継いでいます。お嬢さんの思い出の味なのです」
1987年に大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎を併発したひばりは、治療を経て復帰するも、1989年に倒れて緊急搬送される。
「入院中もこの3色弁当を届けていました。慣れた味がよかったのでしょうね。歌えなくなったと同時にいなくなってしまいましたが、お袋らしい人生だったと思います」(和也さん)
昭和を代表する歌姫のそばには最後まで思い出の味があった。