グラビアアイドルや女優、タレントとして、また現在は2児の母として精力的に活動している安田美沙子。癒やし系キャラとしても知られるが、本人的には「“どこが?”と思っていました(笑)。本来の性格は負けず嫌いで芯が強いんです。京都人だからでしょうか」と冗談を交えて明かす。そんな彼女のルーツや、芸能界での下積み時代に経験した苦労、またそれを乗り越えたきっかけや、母親になって学んだことなど、過去から現在までの道のりを語ってもらった。
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1982年北海道生まれの京都府育ち。父の仕事の転勤の関係で、小学校を3回転校した。当時を「いつも泣いていました。転校したばかりでは、ランドセルが違ったり、体操服が違ったりしますが、ただそれだけで。自分は本当にこの場に受け入れられているのか、大丈夫かと悩んでいました」と振り返る。
引っ越してきた子だから私はうまくやっていけない、転校生だから“いい子”だと思われたい。少女の胸は疎外感と不安でいっぱいに。そこから何があっても「大丈夫、大丈夫」と笑うよう振る舞った。結果、友達は増えた。いじめもなかった。だが、ある日、仲が良い友達からの学校帰りの一言が胸に刺さった。「美沙子は、なんでも大丈夫大丈夫っていうから、何考えてるかわからへん」──。
ショックを受けた。確かにいつの間にか自分の意見を言えない子になっていた。自分を押し殺せばいい、笑っていればいい。本音で付き合っている友達はいない。それではダメなのかと考えながらも、そうやって過ごさざるを得ない自分に悩んでいた。
そんなある日。女子大生となった彼女は芸能事務所からスカウトされる。
「芸能界では自分らしさ、個性、自分のキャラ、それを出していくことが大切なんだと初めて気付かされました。その頃は京都弁を封印するようマネージメントを受けて、標準語を使っていましたね。オーディションや仕事のたびに関西から東京へ向かい、ウィークリーマンションや事務所の丸椅子を並べてその上で寝ていたことも……。お金がなかったんです(笑)」
次第に仕事が増えていき、グラビア撮影、バラエティと引っ張りだこに。休みが取れないほどの多忙さで「ちょっと病んでいた時もあった」と明かす。それでもカメラの前で笑顔でいられたのは、小学生のころに学んだ処世術。どんな辛いことがあっても笑顔でいる。「転校生の気質で乗り越えました」と語る。
だがそれゆえネガティブだった。スタッフがヒソヒソ話をしているだけで「自分の悪口をいわれているのではないか」とヒヤヒヤした。三つ子の魂百まで。なかなか幼少期の傷は埋まってくれなかった。ここで彼女に変革をもたらすものが現れる。“RUN=走ること”だ。